夕空の法則

万歳

万歳とはなんだろう。

めでたい時や嬉しい時、人はなぜか両手を頭上に高く何度も振り上げて「万歳」と唱える。ある人の話によると、「万歳」という言葉は中国で皇帝の長寿を祈る意味で使われたのが始まりらしい。中国で「万歳」と言われるのは皇帝だけで、両手を前でそろえてお辞儀をするのだという。そして日本人が両手を上げて万歳をしたのは、明治時代に天皇に対して国民全体が敬意を表したのが最初らしい。語源については語源学者にでも任せておけばいい。どうも気になるのは仕草だ。

「両手を頭上に高く何度も振り上げる」

よく考えてみると、不思議な仕草だ。ためしに今、その場でやってみてほしい。ただし「万歳」と唱えず、ただ、両手を頭上に高く何度も振り上げるのだ。

「自分がバカにみえる」

「万歳」を唱えずに両手を頭上に高く何度も振り上げると、人はバカに見える。これは恐ろしいことである。それにしてもなぜこの仕草は人をバカにみせるのか。

「片手を頭上に上げる」

タクシーを拾う時、人はこうする。決してバカにはみえない。あるいは、授業中に先生の質問に答えようとする時にもこの仕草は威力を発揮する。多数決でなにかを決める時にも人は片手を頭上に上げる。この時、両手を頭上に上げたらどうなるか。

「ふざけるな」

そう言われるのが落ちだろう。さらに両手を頭上に高く何度も振り上げたらどうか。

「村八分」

もう誰も相手にはしてくれない。

人と別れる時にも手を使う仕草がある。

「片手を頭上に上げて左右に揺り動かす」

「さようなら」「じゃあね」「バイバイ」などと言いながら行う。この時、両手を頭上に高く何度も振り上げたりしたらどうなるか。

「出征兵士の見送り」

相手を戦地に送り込んでしまった。これではお国のために死なせることになる。

酒宴で人に酒をすすめられる。もうかなり飲んだので、これ以上飲むのは無理だ。酒を断る時にも手を使う。

「両手を前にさしだして壁をつくる」

もう充分いただきました、これ以上は飲めません、という仕草だ。この場合、もし両手を頭上に高く何度も振り上げたりしたら大変である。

「目の前に酒樽を山と積まれる」

次から次へと酒樽が運ばれてくる。迂闊だった。両手まではよかったのだ。「前にさしだして壁をつくる」べきだった。それを「頭上に高く何度も振り上げ」たものだから、とんでもないことになった。

以上の例から分かるように、「両手を頭上に高く何度も振り上げる」行為は、時として事態を悪化させる。大変危険な仕草である。ではその危険を避けるためにはどうすればいいのか。解決策はひとつしかない。

「最初から両手を頭上に高く何度も振り上げるような真似はしない」

私はどんな状況でも、決して両手を頭上に高く何度も振り上げたりしたくはない。

(2001.11.1)