ネットの新聞を眺めていたのだ。「検索エンジンで調べるのは『自分自身』」という見出しが目にとまり、「まさか」と思って記事を読んだ。
マイクロソフトが行った調査報告である。ネットを利用しているアメリカ人に、今までに検索したことがあるものは何かと訊ねたところ、「自分自身」と答えた人が39%でトップだったという。二位は「連絡が取れない友人」で36%、以下、「家族」「昔の恋人」と続く。
やっぱりな、と思った。
十年くらい前からだろうか。バブルが弾けた頃だと思うが、世の中が急激に自意識過剰というか他者への想像力を欠き、誰もが小さな殻に閉じこもり、その殻の中が「世界」だと思い込んでいる人が増えてきたように感じていたからだ。自分の身一つが大切な人である。数年前に若い女性が発した言葉に衝撃を受けたせいかも知れない。数人で話していた。話題が恋愛のことになり、たまたま恋人がいなかったその女性は、今は恋人は欲しくない、その理由を問わず語りにこう言った。
「自分がかわいくてしょうがないの。あーなんでこんなにかわいいんだろうって」
びっくりした。
程度の差こそあれ、自己愛は誰にでもある。だが堂々と公言してしまうというのはどうなんだ。まるで、眼の前でいきなり裸になって「私ってきれいでしょ?」と言われたような感じだった。困ったことになったな、というのが正直な気持ちだった。
だから、マイクロソフトの調査結果を見ても驚かなかったのだが、驚いたのは記事の後半だった。検索の傾向は地域によって異なり、ニューヨークでは「投資に関するニュース」と答えた人が他の都市より多く、ロサンゼルスでは「エンターテインメント」が多かったという。
がっかりするほど当たり前だ。
世界最大の金融市場ニューヨーク。ハリウッドを有するロサンゼルス。他に何を検索しろというのだ。インド人は「カレー」だ。オランダ人は「風車」に決まっている。
「まさか」と思ったのは、私はアメリカ人の多くが「『自分自身』という単語」を検索したものとばかり思ったからである。英語なら myself だ。
ためしに Google で「自分自身」を検索してみた。一位は「自分自身を知る――人材バンクを使った転職」という、All About Japan のページだった。二位のページのタイトルを見た。
「自分自身史と自分史は、どう違うのでしょうか」
自分史というのは聞いたことがある。自伝みたいなものだろう。「自分自身史」は初耳だった。気になるじゃないか。説明を読んだ。
自分史は、書くことに少なからず興味ある人が、自分の生い立ちや人生観を自分で執筆することが基本のようです。では、自分自身史は、どういったものかといいますと、現代において別段社会に功績を残した残さないということには関係なく、現役の作家達に依頼して、自費で編集発行するものです。
プロ作家に「書いてもらう」のが「自分自身史」だという。ちょっと違うんじゃないかと思うが、そういうことになっているらしい。六位のページはいきなりこうだ。
「自分自身がなぜ糖尿病になったのか」
自分の胸に訊いたらどうだ。
(2004.8.5)