theatrum mundi

『モロッコの甘く危険な香り』

文学座の有志が自主企画公演としてホセ・ルイス・アロンソ・デ・サントス作、拙訳による『モロッコの甘く危険な香り』を上演します。今週27日(水)から30日(土)まで。会場は文学座新モリヤビル。八十年代を代表するスペインのコメディーです。マドリードでの公演では爆笑の嵐でお客さんが椅子から飛び上がって笑ったほど。果たして今回はどのくらい笑えるか楽しみです。

2018年6月25日


『万引き家族』

是枝裕和監督の新作は必見ですぞ。疑似家族を演じる俳優がみなすばらしい。リリー・フランキー、安藤サクラ、松岡茉優、城桧吏、佐々木みゆ、樹木希林。汚らしい家の造形も見事。そして細野晴臣の音楽。さあ、いますぐ映画館へ!

2018年6月13日


「はだいろ」でいいじゃないか

十年くらい前からクレヨンや色鉛筆の色の名前から「はだいろ」が消えてしまったそうです。クレヨンにも色鉛筆にもとんと縁がないからちっとも知らなかったよ。消えた理由を探ってみると、人種によって肌の色はまちまちなので単一の色を「はだいろ」と呼ぶのは偏見を煽ることになるから、だそうです。ずいぶん奇妙な理窟だなあ。

赤みがかった淡い黄色を「はだいろ」と呼ぶのは、「人類の肌の色はみんな赤みがかった淡い黄色であるべし」と主張するためではないよ。日本列島に暮らす人々の多くにとって肌の色の通念が赤みがかった淡い黄色であるのを示すにすぎない。もしも幼稚園や小学校に黒人の子がいて、お絵描きでクレヨンや色鉛筆を選ぶときに「はだいろ」の名称に違和感を覚えたならそれで結構。違和感を覚えることこそが文化を知ることだよ。そのうち、「水は無色透明なのに淡い青を『水色』と呼ぶのは国際的な常識に反する! ペール・ブルーと呼ぶべし!」とか、「信号機の緑色を『青』と呼ぶのはけしからん!」などと叫ぶ人が現れるのかしら。

2018年6月12日


『犬ヶ島』がすばらしい

ウェス・アンダーソン監督の映画『犬ヶ島』がすばらしい。『ファンタスティック Mr. FOX』に勝るとも劣らぬできばえ。スティーブン・スピルバーグ監督の『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』も演出がすばらしく、ギジェルモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』も見事。そして今週の日テレ系「金曜ロードSHOW!」はディズニーのアニメ『ズートピア』が放映されます。映画館での上映をうっかり観逃してしまい、iTunesでレンタルして観たのですが、脚本が秀逸。いや、テレビもいいけど『犬ヶ島』だよ。映画館へ急げ!

2018年6月10日


三秒でわかる日本文学

島崎藤村『夜明け前』
明治維新に期待した半蔵の夢は破れてがっかり。
田山花袋『蒲団』
去ってしまった弟子の女子学生の残り香をくんくん。
夏目漱石『吾輩は猫である』
猫の吾輩から見れば人間はたわけ者である。

2018年5月27日


三秒でわかる世界文学

トルストイ『戦争と平和』
アンドレイとピエールは懸命に生きた。
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
ドミートリとイワンとアリョーシャの言うことはばらばらだ。
カフカ『変身』
目が覚めたら虫になったのに誰も驚いてくれない。

2018年5月21日


理不尽な要求

「たかし、ご飯ぜんぶ食べなさい」
「お腹すいてない」
すきなさい
「行ってきまーす」
「どこ行くの?」
「籤引き」
「当たるの?」
「わからない」
当たりなさい
「引いてみなくちゃわからないよ」
わかりなさい

2018年5月20日


授業が楽しくてしかたがないよ

十二年前から週に一度中京大学に出かけ、一年生にスペイン語の初歩を教えております。去年までは一日二回の授業でしたが今年は二つ増えて、一限から四限まで、つまり早朝から夕方まで同じ授業を四回ぶっ続けで行う。はたして体力がもつかしらと、年度が始まる前は心配で心配でたまらなかった。ところがいざ四回やってみるとあら不思議! 疲れるどころか、楽しくてしかたがない。

なぜ楽しいかというと、学生が素直に反応してくれるからです。授業がある日の朝は必ず喫茶店に行きモーニングを食べ、コーヒーを啜りながら教科書をぱらぱらと眺め、「さて、きょうはどんな話をしようか。よし、まずこれとこれを教えよう。時間があればこの話もしよう」と、あらかたの計画を立てます。出勤して教室の扉をがらりと開ける。瞳を輝かせる学生たちに出迎えられます。学生諸氏の顔を見た瞬間、喫茶店で練り上げた授業の計画はほとんど忘れてしまい、その場の思いつきで話を始める。即興で話をすると学生は笑ったり大きくうなずいたりして敏感に反応する。そして授業が終わると学生たちは「ありがとうございました」とお礼を言ってくれるのです。

初回の授業ではスペイン語のアルファベットと発音のしかたを教えました。授業を終えた瞬間、女子学生が四五人小走りに教壇にやって来て、「楽しかったです!」と眼を輝かせ、うちふたりが黒板消しを手にとってわざわざ板書をきれいに消してくれました。きのうは動詞の活用のしかたを教えたところ、教科書の説明が不親切で頭を抱えていた女子学生が来て「ようやくわかりました。ありがとうございました」と頭を下げてくれました。

こういう反応に接すると疲れはいっぺんに吹き飛びます。学生に会えるのが楽しくてしかたがなく、授業がある日が待ち遠しい。

2018年5月19日


終わりよければすべてよし

静岡で開催された「ふじのくに⇄せかい演劇祭」に参加したメキシコの劇団バカ35『大女優になるのに必要なのは偉大な台本と成功する意志だけ』、無事全公演を終えました。わたくしは日本語字幕を制作し、字幕を壁に投影するスタッフとして関わりました。アドリブの台詞が多く、毎日心臓が口から飛び出そうなくらいに緊張しましたが、なんとかやり遂げました。千秋楽は号泣。女優二人も感激して涙、涙……。ご覧くださったお客さまに心よりお礼申し上げます。

2018年5月8日


パイの実

三十年ぶりくらいにロッテの「パイの実」を食べました。うまい! 定番のお菓子はどうしてこんなにおいしいのでしょう。好きなおやつを思いつくまま挙げてみます。

食べたい!

2018年5月2日


ふじのくに⇄せかい演劇祭2018

今週28日(土)から5月6日(日)まで静岡でふじのくに⇄せかい演劇祭2018が開催されます。お勧めの作品はまず宮城聰演出による『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』。昨年歌舞伎にもなった野外劇。次にノルウェーのアラン・ルシアン・オイエン演出による小島章司とダニエル・プロイエットの舞踊劇『シミュレイクラム/私の幻影』。そしてわたくしが日本語字幕を制作したメキシコ人女優の二人芝居『大女優になるのに必要なのは偉大な台本と成功する意志だけ』。この芝居はジュネの『女中たち』をモチーフにした上映時間わずか五十分の密室劇です。ゴールデンウィークはぜひ静岡へ!

2018年4月25日


ジャンボジェット機はなぜ飛ぶか

今朝NHKラジオ第一放送の「真打ち競演」でビックボーイズの漫才を聞いて感心しました。

A:
飛行機、ジャンボジェット機って鉄の塊で二百トンくらいあるんですよ? あれが空を飛ぶってわからないんですけどね。
B:
飛ぶに決まってるでしょ! 飛行機はひとり何万円も払ってるんだから!
A:
そりゃ運賃払いますよ。
B:
払ったら飛ばなきゃしょうがない!
A:
しょうがないから飛んでるの?
B:
バカ! 誰も金払わないで乗ってみ。絶対飛ばないから。

真実というべきではございませんか。

2018年4月21日


正しい文字が書けなくたっていいじゃないか

三日前に公開されたやじうまPC Watchによると小文字の「g」を正しく書けるアメリカ人は数十人に一人しかいないそうです。英語の小文字「g」には二種類の活字体がある。一つはオープンテール型、もう一つはループテール型。どんな形かはリンク先をご覧になれば一目瞭然。手書きの場合によく使うのはオープンテール型ですね。そしてループテール型を正しく書ける人はほとんどいない、ということがジョンズホプキンス大学の調査で明らかになりました。

「由々しき事態だ!」

――と、調査チームは思ったのかもしれませんが、ちっとも由々しき事態ではない。というのも手書きの文字は活字体とは別物だからです。

日本語の文章を原稿用紙に書くとしましょう。たとえば「権利」と書きたい。その際、「権」を正確な活字体で書く文筆家は滅多にいません。左側の木へん(木)は書くのが楽だけど、右側のつくりの部分――本来は「雚」――は線が多いから書くのが面倒だ。だから「又」などを使って省略し、「权」と書くのはざらです。わたくしも手書きの原稿ではもっぱら「权」と書く。

で、原稿を受けとった植字工は「权」を見て、ああ、これは「権」だよね、とすぐさま了解し、「権」の活字を拾って活版をつくる。これでいいんです。手書きの文字と活字体は別なのだ。

2018年4月9日


「だらし」ってなんだ?

幼いころから部屋の整理整頓や掃除が大の苦手です。ものがきれいに片づけられて掃除がゆきとどいた部屋にいるとかえって落ちつきません。雑然とした空間にいると居心地がよく、くつろげる。人の好みは十人十色。どうやらわたくしは秩序が苦手で、だらしない性分のようです。

この性分をあらためて実感したのは三十数年前、二十歳のときでした。マドリードへ留学すべく、格安航空券を使って東京からフィリピン、タイ、バーレーンを経由して初めて到達したヨーロッパの国はスイスでした。二十四時間かけてたどり着いたスイスの田園を飛行機の窓から眺めると、まるで定規で線を引いたかのように截然と几帳面に区分けされ、土や草や樹木さえもがあたかも絵の具で描きわけたかのように色鮮やかです。風景を見下ろしてわたくしは拒絶反応を覚えました。

「あまりにもきちんとしすぎている」

チューリッヒからマドリードへの旅は鉄路でした。スイスもフランスも車窓の景色は規則的でした。都市も田園も人工美の極致に見える。パリで急行を乗り換え、地中海に沿ってマドリードへ向かいます。フランス南端の町セルベールからスペインの町ポル・ボウに入ったとたんに風景が一変しました。雑然とした町並み。くすんだ色。景色全体が埃をかぶったように土気色にくすんでいる。強烈な色彩のコントラストがどこにも見当たらない。

「ここだ!」

わたくしは自分の居場所を発見した喜びを感じました。空路と鉄路あわせて四十八時間かけて到着したマドリードでも同じ気分を味わいました。だらしないわたくしにぴったりの町なのです。

で、ここからが本題なのですが、「だらしない」の「だらし」ってなんだろう? 「だらし」が「ない」のであれば「だらし」が「ある」状態もあり得ると想像できます。手もとの辞書で「だらし」を引いてみると、こんな語釈があります。

『広辞苑』第六版
(「しだら」の倒語という)しまり。ひきしまり。しだら。浮世床(初)「―もねへくせに」

『大辞林』
〔「しだら」の「し」と「だら」を入れ替えたもの〕物事のけじめのはっきりしていること。しまり。「―のない男」「―がない」

『三省堂国語辞典』第七版
〔もとは「しだら」。⇨:ふしだら〕ものごとを、きちんと ととのえること。しまり。「━が ない」

『岩波国語辞典』
「しだら」を転倒した語。物事のけじめの状態。「―(が)ないやつだ」

『デジタル大辞泉』
(下に打消しの語を伴って用いる)動作・態度などが、きちんとしていること。しっかりしていること。しまり。「泣くなんてだらしがない」「だらしのない服装」

どの辞書も「だらし」は「きちんとしていること」の意味だと説きます。ところが「だらし」を単独で使う用例が見当たらない。辞書の例文はどれも「だらしがない」や「だらしない」「だらしのない」など、語末に「ない」がつくものばかり。辞書に用例がない理由は、「きちんとしていること」という意味で「だらし」を単独で用いた文献が存在しないからなのでしょう。

さらに、いずれの辞書も共通して説明するところによれば、「だらし」はもともと「しだら」で、「しだらない」と言ったらしい。『日本国語大辞典』第二版で「しだらない」を調べてみると――

しだら‐な・い
行ないや状態に締まりがない。乱雑で秩序がない。だらしがない。しだらがない。〔随筆・嬉遊笑覧(1830)〕

[補注](1)「しだら」の語源については、「嬉遊笑覧」の「じだらく(自堕落)」からという説のほか、梵語の「修多羅」(秩序の意)からという説もあるが、擬態語「しどろ」と関係があると見るのが穏当か。とすると、「しだらない」の「ない」は、否定ではなく、「はしたない」「しどけない」などの接尾語「ない」と同様ということになる。

つまり、語尾の「ない」は否定を意味するのではなく、「はしたない」「せわしない」「えげつない」などに見られる「ない」と同様に形容詞をつくる接尾辞なのでした。従って「だらしない」の「だらし」とは何かと考えこんだわたくしは、語尾の「ない」が否定を表わす言葉だと思ったのが間違いだったのです。ああ、謎がとけてすっきりしたよ。

2018年4月7日


『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』

スティーブン・スピルバーグ監督は演出がうまい。リズ・ハンナとジョシュ・シンガーの脚本はやや荒削りなのですが、スピルバーグは上手に処理します。ヴィスタビジョンのスクリーンサイズが物語にぴったり。登場人物のメグ・グリーンフィールドが読み上げる「The press was to serve the governed, not the governors.」というフレーズが胸を打ちます。

2018年4月3日


『リメンバー・ミー』

ピクサー制作、ディズニー配給のCGアニメ映画『リメンバー・ミー』(原題 Coco)が秀作です。主人公の少年ミゲルの複雑な家系を切り絵アニメで見せる導入部が卓抜。物語の前提を語るのはじつに面倒な作業なので、たとえば『スター・ウォーズ』では宇宙空間に黄色い文字列を映し出して手際よく語り、『ブレードランナー』でも黒い画面に白い文字列を出し、この手法は多くの作品に踏襲されましたが、『リメンバー・ミー』はアニメ内アニメ、いわば劇中劇のかたちでてきぱきと語って見せます。この処理が手際よく、観客は物語の世界にスムーズに入れます。エイドリアン・モリーナとマシュー・オルドリッチの脚本が見事。生物学的な死はかりそめの死にすぎず、本当の死はそのあとに訪れるという主題が胸に響きます。さあ、いますぐ映画館へ!

2018年4月2日


『ぼくの名前はズッキーニ』

目下上映中のクロード・バラス監督によるスイスとフランス合作の短篇ストップモーション・アニメ『ぼくの名前はズッキーニ』(原題 Ma vie de courgette)がしみじみと胸に沁みます。家族に愛される喜びを一度も味わったことがない捨て子七人の物語。上映時間わずか六十六分にもかかわらず子どもと大人の悪意を見事に描いて余すところなし。愛とは何か、ともに生きるとはどういうことかを、声高にではなく静かに語りかけます。ぜひ映画館でご覧ください。

2018年4月1日


ナンセンスの百貨店

「ブラックホールから命からがら抜け出る」
「光の速さで盆踊り」
「ベルカント唱法で読経する坊主」
「なすがまま、キュウリがパパ」
「忘れがたい思い出がどうしても思い出せない」

2018年3月28日


ナンセンスの魔宮

「さすらいの公認会計士」
「逆立ちして拍手」
「わたしの祖父には孫がいない」
「人工知能に絶縁状を叩きつける」
「爪に火をともして暖をとる」

2018年3月21日


ナンセンスの道場

「我が輩はさくら幼稚園すみれ組だ」
「他人の歯で飯を食う、それが歯科医」(©宮武外骨)
「インスタ映えって、ハエじゃないんだ」(©みうらじゅん)
「女将あがりの芸者」
「吹けば飛ぶよなタージマハール」

2018年3月20日


ナンセンスの小部屋

「目から落ちた鱗で足の踏み場もない」
「はるばる来たぜ台所」
「ギャフンと言おうかな」
「ヘイ・ユー! 日本人ですか」
「俺に任せろ、ただし責任はとらない」

2018年3月16日


ナンセンスの特訓

「心臓の鼓動がうるさくて眠れない」
「自家用車を粉末にする」
「クジラの躍り食い」
「赤ん坊に説教される」
「築五分、駅から徒歩十年の物件です」

2018年3月15日


明治最大の過ち

明治時代の知識人は猛勉強しました。どのくらい勉強したかは福沢諭吉の自叙伝『福翁自伝』に明らかです。なにしろ昼も夜も本を読み続けたので枕をして眠ったことがなかった。

枕がない、どんなに捜してもないと云ふので、不図思付いた。是れまで倉屋敷に一年ばかり居たが遂ぞ枕をしたことがない、と云ふのは時は何時でも構はぬ、殆んど昼夜の区別はない、日が暮れたからと云て寝やうとも思はず頻りに書を読んで居る。読書に草臥れ眠くなつて来れば、机の上に突臥して眠るか、或は床の間の床側とこぶちを枕にして眠るか、遂ぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどと云ふことは只の一度もしたことがない。其時に始めて自分で気が付て『成程枕はない筈だ、是れまで枕をして寝たことがなかつたからと始めて気が付きました。是れでも大抵趣が分りませう。是れは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同級生は大抵皆そんなもので、凡そ勉強といふことに就ては実に此上に為やうはないと云ふ程に勉強して居ました。

『福翁自伝』

なぜそんなに勉強したのか。西洋最新の学問を学べる喜びが何ものにも代えがた かったからでした。

然らば何の為めに苦学するとかと云へば一寸説明はない。(中略)名を求める気もない。名を求めぬどころか、蘭学書生と云へば世間に悪く云はれるばかりで、既に已に焼けに成つて居る。唯昼夜苦しんで六ツかしい原書を読んで面白がつて居るやうなもので実に訳けの分らぬ身の有様とは申しながら、一歩を進めて当時の書生の心の底を叩いてみれば、自から楽しみがある。之を一言すれば――西洋日進の書を読むことは日本国中の人に出来ないことだ、自分達の仲間に限つて斯様な事が出来る、貧乏をしても難渋をしても、粗衣粗食、一見看る影もない貧書生でありながら、智力思想の活発高尚なることは王侯貴人も眼科に見下すと云ふ気位で、唯六かしければ面白い、苦中有楽、苦即楽と云ふ境遇であつたと思はれる。喩へば此薬は何に利くか知らぬけれども、自分達より外にこんな苦い薬を能く飲むものはなからうと云ふ見識で、病の在る所も問はずに唯苦ければもつと呑で遣ると云ふくらいの血気であつたに違ひはない。

『福翁自伝』

明治の書生が新井白石ばりに猛勉強してくれたおかげで近代の日本ができあがったわけですが、西洋の概念を日本に紹介するにあたってもっぱら漢字二字からなる熟語を増産してしまったために、たとえば「工業」「鉱業」「興業」はどれも発音が同じコーギョーで、耳で聞いただけでは意味が確定できなくなってしまった。「工業」「鉱業」「興業」などの漢字を頭に思い浮かべて初めて意味がわかる。というわけで明治の知識人の知的活動は功罪相半ばするのですが、明治時代最大の過ちはテオス(theos)、デウス(deus)、ゴッド(god)を「神」と翻訳したことだと思うのです。

一神教のゴッドと日本の「神」にはなんの共通性もありません。ゴッドが唯一絶対神、絶対的他者であるのに対して日本の「神」はやおよろずの神。山川草木に宿る、そこらじゅうにうようよいる存在です。

ゴッドはかつて「天主」と呼びました。養老孟司さんとの対談本『脳と魂』(筑摩書房、2005年)で玄侑宗久さんが述べるところによれば、教区長会議を経て正式に日本語でゴッドが「神」になったのは1959年だそうです。ゴッドを「神」と呼ぶのは誤解なのですが、日本でキリスト教を広めるのに不都合ははなかろうとバチカンが認めてしまった。「天主」のままだったら日本人にはなじめなかっただろうと養老孟司さんもおっしゃる。でもこの誤解はとりかえしがつかないよ。これがために一神教の信者と会話が成立しなくなってしまいました。

2018年3月13日


ナンセンスの館

「平成の次の元号は『森友』であります」
「あくびのしかたを師匠に教わる」
「勘違いしたくてうずうずする」
「小躍りの稽古中だ」
「暇だから目くじらでも立てるとするか」

2018年3月12日


一人称代名詞が不便でならぬ

自分の話をするとき、わたくしはつとめて「わたくし」と申しますが、これが面倒くさくてたまりません。「わ」「た」「く」「し」と文字を四つも書かなくてはならない。発音するときも四つの音を並べる。自己に言及する機会はしょっちゅうあるのに、いちいち四つの音や文字を使わねばならないのは不経済だ。

「『私』と書けばいいじゃない」

たしかに「私」と書けば一語で済みます。でも、ワタシと読むのか、それともワタクシと読むのかがわからない。従ってワタシと読んでほしい場合は「わたし」、ワタクシなら「わたくし」と書く以外にない。なんて不便なのでしょう。

一人称代名詞が不便であることは柳田國男も嘆いております。

たぶんまたかとおっしゃるだろうと思いますけれども、わたしの一番いやだと思いますのはボクということばなんです。日本語でもどこの国でも一人称の単数というものは、大変使う必要の多いもんです。また考える時にはしょっちゅう使うもんです。それが男だけボクという濁音ではじまった二音の、しかもつまずくような形の音でするということは、どんなものでしょう。ボクの始まりはいずれ、いなかの進学塾における学者の、しかもそれは口で言ったんではなくして、手紙に書いたりなんかする時の「僕」なんです。ほんとにそんなこと言っちゃ憎まれますけれども、「ざまみろ」と言いたいくらいなんですね。漢字で書きさえすりゃ、無差別に通っておったおかげに、近ごろじゃこの「僕」ということばをどうすることも出来ないんです。

柳田國男「国語研究者に望む」『言語生活』1957年4月号

「僕」はわたくしも大嫌いで、滅多に使いません。柳田國男は「僕」の代用として「わたくし」を挙げるのですが、これまた唾棄してはばかりません。

何か、これ〔一人称単数の「僕」〕を改良する方法はないかというと、そのあとに控えておるのは「わたくし」なんですね。陛下に「わたくし」ということばをお言わせ申したということを聞いた時には、わたしはほんとに一晩も二晩も寝られませんでした。「わたくし」ということばは「おおやけ(公)」に対することばなんでございます。しかもその起りがちっともわからない。使った例を少しずつ集めてはおりますけれども、まだ本当にはわかりません。「わ」ということばは「われ」の「わ」であることだけは確かなんでございますが、なぜ「たくし」がついたかわからない。それにもかかわらず、わたしの家なんかで注意しておりますと、「女の子が〝わたし〟と言っちゃいけない、〝わたくし〟と言いなさい」なんて、母親だのばあさんだの戒めておるんですね。「わたくし」が一番いいことばで、「わたし」はその次、「わっち」やなんかはもっと悪い、というふうにしておるんですが、なぜそうしなきゃならなかったという――もうこれは明治の初期の浅慮のいたすところじゃなくて、もっと前からなんですが――なぜ「わたくし」ということばを使わなけりゃならないのかということを考えます。長ったらしいばかりでなく、森(鷗外)さんの小説なんか見るとよくわかりますが、この「わたくし」と書くのが正しいという、こう頭に持っておられるものですから、四字も活字を使って、はいって来るんですね。ほんとにいやだと思いました。

柳田國男「国語研究者に望む」『言語生活』1957年4月号

英語はI、スペイン語はyo、フランス語はje、ドイツ語はichと、いずれも一音節。できれば日本語も一音節で済ませたいと思うのですが、ふさわしい語が見あたらない。「わたくし」に較べれば「おら」や「わし」のほうがよっぽど経済的だよ。

2018年3月11日


「英会話」の不思議

先日地下鉄の駅で電車が来るのを待ち、やって来た電車を見ると車体の外側に「英会話のAEON」の広告がたくさん貼ってありました。そしてふと思ったのです。

「英会話とは何ぞや」

誰もが日ごろよく見たり聞いたりするフレーズです。わたくしが子どものころ、いまからざっと四十五年くらい前にもこのことばは確かに見聞きしました。「英語でおこなう会話」だから英会話。ところが英語以外の言語ではなぜかこうした言い回しをしない。「フランス語でおこなう会話」を仏会話ふつかいわと呼んでもよさそうなのに、少なくともわたくしはフツカイワということばを聞いたことがありません。「ドイツ語でおこなう会話」を独会話どくかいわと呼んだってよさそうだし、「イタリア語でおこなう会話」なら伊会話いかいわと言えそうなのに、誰も言わない。「日本語でおこなう会話」を日会話にちかいわと呼ぶ人にもお目にかかったことがない。どうやら「○会話は英語に限られるようです。

「英会話」が生まれたのはいつごろか。『日本国語大辞典』第二版によると、いちばん古い用例は1965年に発表された末川博の『彼の学んだ道』(岩波新書)で、「この先生のところで暮すようになってから、自然に英会話の機会がふえた」の一文があるそうです。おそらく1960年代の前半あたりで用いられ始めたと推察されます。

では、なぜ「英会話」だけが日本語の語彙として定着し、ほかの言語では定着しなかったのか。英語に較べてほかの言語の需要がはるかに少ないからでしょう。さらにわたくしの想像ですが、エーカイワの「エー」がアルファベットの最初の文字A(エー)を想起させるからではあるまいか。だってドクカイワ(独会話)は「毒会話」に聞こえるし、フツカイワ(仏会話)は「二日岩」というわけのわからない語句が頭に浮かんでしまうよ。

2018年3月10日


ナンセンスの修行

「完全無欠の出来損ない」
「一流の二番煎じ」
「父を勘当した」
「カツカレー下さい、カツとカレー抜きで」
「針のむしろでくつろぎのひとときはいかが」

2018年3月9日


ナンセンスの訓練

「後の祭りは何時に始まりますか」
「たまにはがっかりしなくちゃね」
「一度や二度の成功でくよくよするな」
「模範的なアウトローになりたい」
「功成り名を遂げた凡夫」

2018年3月8日


矛盾の魔力

「三途の川で溺れ死ぬ」
「あっという間に一世紀が過ぎた」
「父はわたしが生まれる三年前に他界しました」
「沈む朝日を眺める」
「小石を軽々と持ちあげる」

2018年3月7日


矛盾の快楽

「そんじょそこらのローマ法王」
「かけがえのないがらくた」
「やんちゃ盛りのご老体」
「いぶし銀のお遊戯」
「わたしは絶対に断言しない」

2018年3月6日


矛盾の愉悦

「致命傷が治った」
「無人島で生まれました」
「知る人ぞ知る大スター」
「前代未聞のニュースは聞き飽きた」
「睡眠薬を飲む時刻を目覚まし時計にセットして寝る」

2018年3月5日


矛盾話法

「わたしは斷じて舊漢字舊假名遣ひは用ゐない」
「僕は嘘しか言わない」
「ですます調は大嫌いです」
「俺の命令に従うな」
「こう見えても人間ではありません」

2018年3月2日


矛盾の誘惑

およそ一ヶ月にわたって、誰に頼まれたわけでもないのに毎日せっせと非文をこしらえてわかったのは、「非文」と「ニセ非文」の境界があいまいであることです。二月二十日に粗忽第二共和制でたこ焼き村さんが正しくご指摘くださったように、両者の境界は微妙で、「正しい非文」のつもりでもうっかりするとただのホラ話になってしまう。そこで本日は趣向を変えて、数日前から頭に浮かんで離れない矛盾の例文をご紹介します。

「わたしは日本語の読み書きができない」
「この文には、句点も読点も存在しない。」
「人類はみな博愛主義者であるべきだから博愛主義者でない者は抹殺しよう」
「俺は感じの晝き間違いをしたことが一度もない」
「僕は決して否定文は書かない」

2018年3月1日


非文五輪閉幕

「苦み走ったいい女」
「小股の切れ上がったような男」
「天網恢々疎にして漏らす」
「大船に乗った気持ちでびくびくする」
「2020年東京オリンピックの開催地は大阪です」

2018年2月25日


非文五輪残り二日

「命からがら三途の川を渡る」
「すんでのところで火事を起こした」
「声を振り絞って黙読する」
「結婚相手を求めて無人島に行く」
「あしたの日記はもう書いた」

2018年2月24日


非文五輪残り三日

「緊急事態に備えてのほほんと構える」
「身長は65kgです」
「わたくしがお宅にお伺い下さります」
「蜘蛛の子を散らすように集まる」
「怒濤の勢いで眠りにつく」

2018年2月23日


非文五輪残り四日

「聞き分けのない人工知能に往復びんた」
「大海原をベタベタ触るんじゃありません!」
「ついにぐうの音が出た」
「『創世記』を書いたのはわたしだ」
「あたかも男であるかのように振る舞うのが紳士のたしなみだ」

2018年2月22日


「正しい非文」はなかなか難しい

「兄は鉛筆の操縦が下手です」
「君にとやかく言われる筋合いだ」
「確定申告はどのように栽培しますか」
「未確認飛行物体であることを確認した」
「日付変更線につまづく」

2018年2月21日


平昌五輪が終わるまで非文五輪を続けるぞ

「あいつは優秀で箸にも棒にもかかる」
「テロリズムをみじん切りにしよう」
「本を読む暇があるなら読書しろ」
「かかとを紛失した」
「オリンピックは酸化することに異議がある」

2018年2月20日


非文オリンピック

琵琶湖の水を飲み干す
「三位決定戦で優勝した」
「これもひとえに自分のおかげです」
今朝はクジラに襲われて遅刻しました
あしたはフレンチトーストの下敷きになって遅刻します

2018年2月19日


日曜日も非文

「ドーナツの穴ばかり食うなよ」
「散歩の途中で車を轢いてしまった」
「枕が変わると笑えないたちです」
「足が速すぎて上半身が追いつかない」
「天皇風情が何を抜かす」

2018年2月18日


非文のたしなみ

「シェフはまるで料理人だ」
「惜しむらくは大成功を収めた」
「ひとりでジャンケンして負けた」
「僕は差別とユダヤ人が大嫌いです」
「健康でさえあれば命はいらない」

2018年2月17日


非文は無敵

「目鼻立ちの整ったのっぺらぼう」
「ジャズとクラシックは飲み物です」
「すんでのところで滑って転んだ」
「おやつはバナナに入りますか」
「耳の穴をかっぽじって見つめる」

2018年2月16日


非文に不可能はない

「おととい来やがれと怒鳴ったらおととい来てくれた」
「あの世が懐かしい」
「人跡未踏の地に暮らすのはもうこりごりだ」
「蒸発した夫が液化した」
「誰も介抱してくれないので蘇生することにした」

2018年2月15日


水曜日こそ非文を考えよう

「僕に助詞は使いかたを得意です」
「歯を食いしばってほほ笑む」
「水曜日だからあしたは火曜日だ」
「のほほんと急ぎなさい」
「勢いよく脱力する」

2018年2月14日


非文さえあれば平日もなんのその

「真っ昼間から太陽が照っている」
「最後に自殺したのは去年の十月だ」
「死んで以来生きた心地がしない」
「一所懸命に仕事をさぼる」
「不甲斐ない結果に終わることができた」

2018年2月13日


振替休日も非文を忘れずに

「天井を踏んづけた」
「万一に備えて油断しよう」
「返す返すも嬉しい」
「意気揚々と肩を落とす」
「おかげさまで後の祭りです」

2018年2月12日


日曜日は非文でくつろごう

「たまの休日くらい慌てようじゃないか」
「日曜日なので目から鱗が落ちる」
「つべこべ言わずに四の五の言う」
「決死の覚悟でぼんやりする」
「すやすや目が覚めた」

2018年2月11日


土曜日も非文で遊ぼう

「ベートーベンの交響曲に舌鼓を打つ」
「手持ち無沙汰でてんてこ舞いだ」
「張り切ってがっかりしよう」
「残飯を生産する」
「万事休すでご満悦」

2018年2月10日


非文で週末を乗り切ろう

「馬鹿を休み休み言う」
「烈火のごとく褒めちぎる」
「そろそろ失神しようかな」
「弟に年齢を追い抜かれた」
「山彦が俺に口答えする」

2018年2月9日


非文は続くよどこまでも

「手をこまねきたくてうずうずする」
「いても立ってもいられる」
「うだつが上がりまくる」
「今度こそうっかりしてみせるぜ」
「名案を思いついて途方に暮れた」

2018年2月8日


非文を召し上がれ

きょうも元気だ非文がうまい。

「思い切って気を失う」
「文明が滅びに滅ぶ」
「開いた口がふさがる」
「もう二度と大歓迎だ」
「三度の飯より飯が好き」

2018年2月7日


非文日めくり

厳密に言えば非文ではないものもまじえつつ、思いついたものを本日もいくつか披露いたします。

「大嫌いなんだよ倒置法は!」
「雪がまっしぐらに呟く」
「暇だから呼吸してみた」
「慌てる暇もないほど忙しい」
「兄は日本一の凡人です」
「さてと、全速力で休憩だ」

余談ですが、きのう紹介した「目を皿のように閉じる」はスタンリー・キューブリック監督の遺作『アイズ・ワイド・シャット』(Eyes Wide Shut)が元ネタです。

2018年2月6日


あかるい一日は正しい非文から

粗忽第二共和制でたこ焼き村さんが提唱なさった惹句に意を強くして本日も非文をご紹介します。

「もしもあしたは水曜日です」
「あなたは僕が赤い」
「成績が爆発した」
「一度でいいから生まれたい」
「目を皿のように閉じる」

2018年2月5日


本日の非文

暦は一月から二月にかわりましたが頭の中は相変わらず非文が渦を巻きます。

「一人で大集合した」
「私はいつもあなたです」
「鼻歌が耳からにじみ出る」

言えそうで言えない文には摩訶不思議な魅力を感じます。

「あしたは右手が社会主義だ」
「自分を放り投げてしまった」
「上空へ真っ逆さまにうずくまる」

2018年2月2日


非文の愉しみ

どういうわけか一週間くらい前から頭の中を文ならざる文が駆けめぐって収拾がつきません。さぞお困りのことでしょうと思われるかもしれませんが、ご心配には及びません。むしろ楽しくてしかたがないのであります。

「雨が降りたいなあ」
「服はコーヒーにこぼす」
「金輪際ありがとう」

こんなフレーズが次から次へと思い浮かんでは消えてゆく。消えてゆくのはなんだか惜しい気がするので書きとめておきます。

「おまえの自己紹介をしてやる」
「私たちはみんな私が大好きです」
「俺はつくづく自分が羨ましい」
「どうして君はいま三時なんだ」
「どのつら下げていらっしゃいませ」
「せっかくだから台無しにしよう」
「待てど暮らせど返事が届いた」
「非文を書かせたら右に出る者がいる」

もう頭の中はしっちゃかめっちゃかでございます。

2018年1月30日


辞書に間違いはつきもの

今月十二日に『広辞苑』第七版が発売されて間もなく解説文にいくつか間違いがあることが発覚したのは諸賢ご存じのとおり。特に批判を呼んだのはエルジービーティー【LGBT】しまなみかいどう【しまなみ海道】でした。

LGBTの間違いは「多数派とは異なる性的指向をもつ人々」という説明です。この語釈はレズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシャル(B)にはあてはまるけれどトランスジェンダー(T)にはあてはまらない。トランスジェンダーは身体の性別と心の性別が一致しない人たちですから、性的指向とは無関係。

しまなみ海道のミスはとても単純で、愛媛県の「大島」をうっかり山口県の「周防大島」ととりちがえたのでした。

岩波書店は両方とも誤りを認め、正しい解説文をさっそくネットで公開しました。

エル‐ジー‐ビー‐ティー【LGBT】
①レズビアン・ゲイ・バイセクシャルおよびトランスジェンダーを指す語。GLBT
②広く、性的指向が異性愛でない人々や、性自認が誕生時に付与された性別と異なる人々。

しまなみ‐かいどう【しまなみ海道】
本州四国連絡道路のうち、尾道・今治を結ぶルートの通称。自動車道に歩行者・自転車専用道路を併設、因島・生口いくち島・大三島・大島などを経由する。全長59.4キロメートル。

ところがミスはこのふたつに限らないらしい。わたくし自身は第七版が手もとにないので確認できないのですが、きのうの産経新聞の記事によると、台湾の項目では中国の行政区に台湾を含んだ地図が掲げられているそうです。さらに寺関係者の役職を示す坊守ぼうもりの項目には「浄土真宗で、僧の妻」と説明されているけれど、実際には僧の妻に限らず、女性住職の配偶者や家族も坊守になれるから、この語釈は不正確だと、岐阜県で坊守をつとめる男性が岩波書店に訂正を要求したとのこと。

というわけで、『広辞苑』第七版には書き間違いが散見されるのですが、およそ辞書というものには間違いがつきものです。国語辞典の最高峰『日本国語大辞典』第二版も例外ではないことは去年の巻頭言でいくつかご紹介したとおりです。ほかにも『デジタル大辞泉』やなぎや【柳屋】の項目は「落語家の芸名の一。」という解説文こそ正しいものの、項目の漢字表記が間違いで、正しくは柳家

というわけで、辞書を利用する際はくれぐれも説明を過信せず、できれば同類の辞書をニ三冊読み比べるのがお勧めです。

2018年1月27日


謹賀新年

むうむう国民の皆さま、新年あけましておめでとう。当サイトの中身を一部変更しました。需要が絶えて久しい「グラデーションフォント」をメニューから除外し、新たに「落語文字起こし」を開設。古今亭志ん生や三遊亭円生を始めとする昭和の名人による滑稽噺です。画面左上のナビゲーションメニューでたどる場合は「目次」→「まだまだあるよ」→「落語文字起こし」をクリックしてください。

2018年1月1日


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