theatrum mundi

ガール

「森ガール」という呼称を見聞きするようになったのはいつ頃だったか。七八年くらい前かなと思って『スーパー大辞林3.0』を引いて驚いた。

2006年(平成18)にソーシャル-ネットワーキング-サービス-サイトのコミュニティーで発信された造語。

十四年も前でしたか。以来、「山ガール」や「釣りガール」「囲碁ガール」など、いろんなガールが雨後の筍のごとく出現してめまいを覚えるほどでございます。

では「ボーイッシュな女」はどう呼ぶべきか。

「ボーイガール」

理窟に従えばこれでよさそうだけれど、聞いたことがないよ。「ガール」は最近下火らしく「女子」が我が世の春を謳歌しているようだから、時勢に乗って漢語にしてみよう。

「男子女子」

よくわからなくなってきました。

2020年2月25日


悩み

「困ったのう」
「困りましたねえ」
「わしは来年から年金をもらえるはずじゃった」
「あたしもですよ」
「人生、思うようにならないものじゃ」
「思いもよりませんでしたねえ」
「ひまわり幼稚園に入ったのが昭和三十四年……」
「あれからずっと年少組……」
「年中組に上がるのがこんなに難しいとは」
「厳しすぎるんですよ、この幼稚園」
「先生のスカートにマッチで火をつけただけで落第じゃ」
「あたしだって先生のお昼ご飯に青酸カリを混ぜただけですよ」
「かわいらしい悪戯じゃないか」
「ですよねえ」
「なのに園長先生は毎年目くじらを立てて落第させる……けしからん!」
「いつになったら卒園できるんでしょうかねえ」
「困ったのう」
「困りましたねえ」

2020年2月24日


悪評嘖嘖?

翻訳の仕事をする上で欠くべからざるのが類語辞典でございまして、『角川類語新辞典』と並んでよく用いるのが大修館書店の『日本語大シソーラス 第二版』なのですが、「おや?」と首を傾げざるを得ない語句を見つけました。

「悪い評判」の類語を調べると、まず最初に「悪評 悪評嘖嘖《さくさく》 酷評 苛評 冷評 暴評 妄評《ぼうひよう》 妄評《もうひよう》」が挙げられております。ひっかかるのは「悪評嘖嘖」だ。嘖嘖は果たして悪評に用いられるのでしょうか。

さっそく国語辞典で調べてみよう。『日本国語大辞典 第二版』を引くと――

さく‐さく【嘖嘖】
〘名〙(形動タリ) 口々に言いはやすさま。また、盛んにほめたてること。

とあります。世間の人がほめて言いふらす、ということですね。初出の用例として挙げられているのは『菅家後集』です。

菅家後集〔903頃〕詠楽天北窓三友詩「喃々嘖々如含語、一虫一粒不致飢」

「喃々」は小さな声でいつまでもしゃべること。「喃々嘖々」は重ねことばですね。ぺちゃくちゃとしゃべり続けるということでしょう。しかしわたくしの関心はもっぱら現代文なので、十九世紀以降の用例を見てみよう。

緑蔭茗話〔1890~91〕〈内田魯庵〉「『或は文界の左甚五郎とも或は東洋のシェークスピーヤとも評判高き』と美妙斎主人を嘖々(サクサク)せり」

山田美妙は文学における左甚五郎、あるいは東洋のシェイクスピアだとほめそやす。つまり好評ですね。その次の用例は村井弦斎の『近江聖人』。

近江聖人〔1892〕〈村井弦斎〉王者の師「近江聖人の徳化国内に洽(あまね)くして、名声八道に嘖々(サクサク)たれば」

名声嘖嘖、これも高い評判のことだ。その次は田山花袋。

東京の三十年〔1917〕〈田山花袋〉私の最初の飜訳「その世評は嘖々(サクサク)としてきこえてゐたが」

こちらもよい評判です。次は織田作之助。

可能性の文学〔1946〕〈織田作之助〉「私のやうな悪評嘖々たる人間が」

はい、ようやく悪評の例が見つかりました。しかし織田作之助は自虐的に言っているのではないかしら。青空文庫で原文を読んでみましょう。該当するところに下線を引いておきます。

私はことさらに奇矯な言を弄しているのでもなければ、また、先輩大家を罵倒しようという目的で、あらぬことを口走っているのではない。昔、ある新進作家が先輩大家を罵倒した論文を書いたために、ついに彼自身没落したという話もきいている。口は禍の基である。それに、私は悪評というものがどれだけ相手を傷つけるものであるかということも知っている。私などまだ六年の文壇経歴しかないが、その六年間、作品を発表するたびに悪評の的となり、現在もその状況は悪化する一方である。私の親戚のあわて者は、私の作品がどの新聞、雑誌を見ても、げす、悪達者、下品、職人根性、町人魂、俗悪、エロ、発疹チブス、害毒、人間冒涜、軽佻浮薄などという忌まわしい言葉で罵倒されているのを見て、こんなに悪評を蒙っているのでは、とても原稿かせぎは及びもつくまい、世間も相手にすまい、十円の金を貸してくれる出版屋もあるまい、恐らく食うに困っているのだろうと、三百円の為替を送って来てくれた。また、べつの親戚の娘は、女学校の入学試験に落第したのは、親戚に私のような悪評嘖々たる人間がいるからであると言って、私に責任を問うて来た。ある大家が私の作品を人間冒涜の文学であり、いやらしいと言ったという噂が伝わった時、私は宿屋に泊っても変名を使った。悪評はかくの如く人の心を傷つける。だから、私は私を悪評した人の文章を、腹いせ的に悪評して、その人の心を不愉快にするよりは、その人の文章を口を極めてほめるという偽善的態度をとりたいくらいである。まして、枕を高くして寝ている師走の老大家の眠りをさまたげるような高声を、その門前で発するようなことはしたくない。

わたくしはこの文章には皮肉を感じます。「悪評嘖々」は、本来は好評を強調するのに用いる「嘖々」を敢えて悪評に用いることで自虐的にふるまっているように思うのだよ。『日本国語大辞典 第二版』の用例はこれだけ。つまり悪評の例は織田作之助ただひとりで、あとの用例はみんな好評に関するものばかりだ。

ほかの辞書はどうかしら。『広辞苑 第六版』を見ると――

さく‐さく【嘖嘖】
口々に言いはやすさま。「好評―」

やはり好評だ。『大辞林 第三版』はどうかな。

さく さく[0]【嘖▼嘖▼】
(トタル)[文]形動タリ 人々が口々に言いはやすさま。「好評―」「評判―たりし当代の佳人/風流仏(露伴)」〔「悪評嘖嘖」は誤用

悪評嘖嘖は間違いですよ、と指摘しています。『岩波国語辞典 第七版』は――

さくさく【×嘖×嘖】
〘ト タル〙口々に言いはやすこと。「好評―」

こちらも好評ですね。『明鏡国語辞典 第二版』を引くと――

さく‐さく【▼嘖▼嘖】
〘形動トタル〙〔文〕口々にほめそやすさま。
「━たる賞賛を受ける」「高評[名声]━」
「悪評━」は、一般に誤りとされる。

これまた悪評に使うのは好ましくないという立場です。『三省堂国語辞典 第七版』はどうかな。

さく さく【(×嘖々)】(形動タルト)
〔文〕口々に うわさするようす。
「好評━(たるものがある)」〔「悪評━」は あやまり〕

こちらも釘を刺している。『新明解国語辞典 第七版』は――

さく さく[0] 【〈嘖嘖〉】
-たる-と
口ぐちに言いはやす様子だ。
「好評嘖嘖(たるものが有る)」
〔「悪評嘖嘖」は誤り〕

同じ立場ですね。最後に『デジタル大辞泉』を見よう。

さく‐さく【×嘖×嘖】
[ト・タル][文][形動タリ]口々に言い立てるさま。盛んに褒めそやすさま。「名声嘖嘖たるものがある」
[補説]「名声…」「令名…」など、評判がよい場合に使う。「不評嘖々」などとは言わない。

悪い評判には使わないよと念を押している。手もとの辞書はどれも悪評嘖嘖は間違いだと述べています。たぶんそのとおりなのでしょう。では実際に日本の文献で「嘖嘖」はどう使われてきたのか。ええい、乗りかかった船だ、ついでに青空文庫で調べてみよう。「嘖嘖」で検索すると何もヒットしません。「嘖々」は結構あるよ。ヒットした順に挙げると、まず幸田露伴の『連環記』

又保胤の父の忠行は後の人の嘖々として称する陰陽道の大の験者の安倍晴明の師であったのである。

よい評判のことですね。二つめは森鷗外の『鴎外漁史とは誰ぞ』

文壇とは何であるか。今国内に現行している文章の作者がこれを形《かたちづく》って居るのであろう。予の居る所の地は、縦令《たとい》予が同情を九州に寄することがいかに深からんも、西僻《せいへき》の陬邑《すうゆう》には違あるまい。予は僅に二三の京阪の新聞紙を読んで、国の中枢の崇重《しゅうちょう》しもてはやす所の文章の何人の手に成るかを窺《うかがい》知るに過ぎぬので、譬《たと》えば簾《れん》を隔てて美人を見るが如くである。新聞紙の伝うる所に依れば、先ず博文館の太陽が中天に君臨して、樗牛《ちょぎゅう》が海内文学の柄を把《と》って居る。文士の恒《つね》の言《こと》に、樗牛は我に問題を与うるものだと云って、嘖々乎《さくさくこ》として称して已《や》まないらしい。樗牛また矜高《きょうこう》自ら持して、我が説く所は美学上の創見なりなどと曰って居る。

嘖々乎の「乎」は漢語の語調を強める語だから無視してよろしい。洋々乎とか断乎、確乎の「乎」です。ここでの嘖々はさかんに言いふらすことですね。三つめは太宰治の『津軽』

かくて明治時代に到つても、官庁は大いに林政に注意し、青森県扁柏林の好評は世に嘖々として聞える。

好評だ。四つめは芥川龍之介の『廿年後之戦争』

如何な砲弾にをも堪へ得べき一種の金属を発明せる人あり 之は先年上滝式無煙火薬を製造して其名海内に嘖々たる上滝嵬氏にして之を上滝式防弾鉄と名づけたり

煙が出ない火薬の発明者として令名をはせる、つまりこれもよい評判だ。五つめは夢野久作の『ドグラ・マグラ』

いずれに致しましてもその人格に於て、又はその名声に於て、天下に嘖々たる若林博士が、

これまたよい評判です。六つめは菊池寛の『若杉裁判長』

若杉裁判長といえば、名裁判長として令名が嘖々たるものでありました。

同上。七つめは芥川龍之介の『大久保湖州』

黄門は世に賢明の人なりと嘖々す。

同じく名声だ。八つめは内田魯庵の『二葉亭四迷の一生』

世間は春廼舎をのみ嘖々して二葉亭の存在を少しも認めなかった。

さかんにほめた、ということですね。ほかにも用例はいくつかあるけれど、「名声嘖々」(菊池寛『青木の出京』、岡本綺堂 明治劇談 ランプの下にて)、「文名嘖々」(中島敦『斗南先生』、野村胡堂『胡堂百話』)、「江湖の嘖々として称するところ」(幸田露伴『運命』)、「漱石氏の名を文壇に嘖々たらしめた事は」(高浜虚子『漱石氏と私』)、「各劇場に嘖々の好評を博してゐたが」(正岡容『浅草燈籠』)、「天下到るところに人気嘖々たる古今の英雄秀吉も」(中里介山『大菩薩峠』)などなど、どれもよい評判ばかり。悪評の例はひとつもない。

というわけで、『日本語大シソーラス』の「悪評嘖嘖」は不適切である――というのがさしあたっての結論であります。

2020年2月18日


小学館『和西辞典』にもミスがあるよ

重箱の隅をつつくつもりは毛頭ないのですが、日夜お世話になっている小学館『和西辞典』にふたつミスを見つけました。

まず「しゅえん 主演」を引くとこんな例があります。

主演男優 actor m. principal
主演女優 actriz f. principal

意味は通じるのですが実際に使われることはごく稀で、principal ではなく protagonista を形容詞的に用いるのが一般的です。映画でも舞台でもテレビドラマでも主演男優は actor protagonista、主演女優は actriz protagonista だよ。

次は「むしあつい 蒸し暑い」。こんな例文がある

今日は蒸し暑い Hoy hay bochorno. ¦ Hoy hace un calor bochornoso.

hay bochorno という言いかたは少なくともスペインでは見聞きしたことがありません。hace bochorno でOK。

2020年2月17日


辞書はいつでも不完全

白水社の『スペイン語大辞典』にまたまた間違いを見つけたよ。動詞 convencer の二つ目の意味を引くと――

❷[主に疑問文・否定文で]得心させる, 満足させる: Su interpretación no me ha convencido del todo. 彼の演技には私は全く得心がいかない.

とありますが、例文の和訳にはふたつミスがあります。

まず動詞の時制。ha convencido は現在完了なので「得心がいかない」ではなく「得心がいかなかった」とするべきだよ。

次に del todo。たしかに「全く」という意味の熟語だけれども、否定文で用いた場合は部分否定を意味する。だから「全く得心がいかない」という全否定ではなく、「すっかり得心がいくわけではない」です。わたくしなら「彼の演技にはどうも納得できないところがあった」と訳すだろうなあ。「全く得心がいかない」と言いたい場合は del todo ではなく en absoluto、あるいはもっとくだけた口調なら nada だよ。

2020年2月14日


フィクション女子

「女子会」とか「大人女子」とか「シニア女子」とか、ジョシジョシうるさい、もういいです、お腹いっぱい――とか思っちゃってるそこのあなた! ちょっとお耳を拝借してもよろしくって? おい、逃げるな。いいからちょっと来い。

いま来てるのは「フィクション女子」よ。初耳? だって静かなブームだし。静かすぎるブーム。フィクションの登場人物としか思えない口調でしゃべるの。

「紀子さん、紅茶もう一杯いかが」
「ううん、もうたくさん」

とかね、もう小津安二郎の世界。これからはフィクション女子の時代。どこからでもかかってらっしゃい、いつでも相手をしたげるわ。おーっほっほっほ!

2020年2月13日


嫌いなことば

いやなことばはたくさんあるけれど、大嫌いなのは「ビジネス」です。busy(忙しい)のうしろに抽象名詞をつくる接尾辞 -ness がくっついて、ずばり「忙しさ」だよ。わたしは時間に追われています、忙しくて猫の手も借りたいほど――と、問われもしないのにさかんに言いふらすみたい。おお、いやだいやだ。

2020年2月11日


辞書を過信するべからず

どんな辞書にも誤りはつきもので、白水社の『スペイン語大辞典』では「a poco que + 接続法」の意味が間違っていることを2017年のごあいさつで紹介しましたが、ほかにも三つ見つけたよ。

一つ目は decembrino。「12月の」という意味の形容詞なのですが、語義がなぜか「10月の」となっております。単純ミスですね。

二つ目は動詞 figurar を使った熟語の ¡Figúrese!。語義は「[驚き・怒り]それが何と!/何たることか!」で、これはよいのですが、例文を見ると「Nos iban a subir el alquiler un cien por cien, ¡figúrate! 家賃を2倍に上げようというのだから, 本当にもう!」。見出語は三人称単数形なのに例文は二人称単数形で不一致。もちろん主語に応じて動詞は二人称あるいは三人称になるのですが、見出し語と例文は一致させたほうが親切だと思うよ。

三つ目は querer の例文。「❷愛する, 好む」の例文に「A ese cantante, el público lo quiere a rabiar y allá donde va, causa alboroto. その歌手は大変な人気者で、行く先々で大騒ぎになった」とあります。「大騒ぎになった」は間違い。causa は現在形なので正しくは「大騒ぎになる」ですぞ。

2020年2月8日


史上最低のピアニスト

史上最高のピアニストは誰でしょうか。

「ホロヴィッツです」
「ルビンシュタインだよ」
「ラフマニノフに決まってるじゃないか」

リヒテル、アルゲリッチ、グールド……。次から次へと名前が飛び出し、人はつい饒舌になります。ところが「史上最低のピアニスト」については誰も知りたがらない。話題にさえしない。これは不当ではないでしょうか。「史上最高のピアニスト」が存在する以上、「史上最低のピアニスト」も絶対いるはずなのだ。良きにつけ悪しきにつけナンバーワンは立派だ。称讃したい。ではそれはいったい、どんな人であろうか。

「鍵盤を使わず弦を直接手ではじく」
「鍵盤は使うが指ではなくハンマーをふり落とす」
「自分はピアノに一切触れず猫が鍵盤の上を歩くにまかせる」

どれもピアノで音を出すことに変わりはないので平凡ですね。

「灯油をまいて火をつけ、燃え上がる炎を楽しむ」

かなり最低っぽくなってきましたが、一歩まちがえばジョン・ケージばりの前衛的なパフォーマンスとして高い評価を得てしまうおそれがある。これも手ぬるいと言うほかありません。ピアノを使って何かをしようとする限り、その人は到底「史上最低のピアニスト」にはなれない。「グランドピアノの中で寝起きする」のも「解体して暖炉の薪にする」のも、ピアノを有効活用するのでダメです。

思うに、「史上最低のピアニスト」はきたろうさんではないか。というのは、ここまで考えてきて、ふと、1995年にシティボーイズが上演したコント集『愚者の代弁者、うっかり東へ』に「ピアノの粉末」というコントがあるのを思い出したからです。いとうせいこうがきたろうの家を訪ねると部屋の片隅に円錐形の真っ黒い物体がある。「何ですか」といとうせいこうが訊ねると、「ピアノの粉末」だときたろうは答えます。ヤマハのアップライトピアノを粉末にしたものです。何の役にも立たない。ピアノにまつわる事物でこれほど無意味な存在をわたくしは他に知りません。だから「史上最低のピアニスト」はきたろうさんである――これが、さしあたっての結論であります。

2020年2月5日


連載小説『続ネバー・エンディング・ストーリー』

慶応三十二年に長野県営海水浴場の芸術監督に就任した徳永隼人は生まれながらの未亡人であるがゆえに脚力には自信があり、今日もいつものように高圧電線をぺろりと平らげ、何食わぬ顔でスマートフォンの受話器をとり電話番号をダイヤルして新華社通信東京支局の局長に蚊の鳴くような声で叫んだ。

「バイキング定食、出前お願いします」
「合言葉を言え」
「つべこべ抜かすと承知しないわよ」

空は抜けるような梅雨空だった。完璧な日だ――沢村はブランデーグラスを天井に落として粉々にし、ガラスの破片を集めて元通りにしながら誰にも聞かれぬよう拡声器で呟いた。完全無欠の女、それがわたしよ。唯一の不満はこの小説の語り手に文才というものがまるで溢れていることくらいだぜ。【完】

2020年1月31日


冬を叱る

おい冬!
ちょっと話があるからこっちへ来い。
「用事があります」?
つべこべ言わずに来い。
おまえを呼んだのはほかでもない。
いったいぜんたい、どうしちまったんだ?
「何がですか」だと?
暖かすぎるだろ。
立冬からこのかた、寒さに手がかじかむような日は一日もないぞ。
名古屋なんか初雪が降らない記録を119年ぶりに更新したんだ。
おい、冬。
どういうつもりだ?
冬は雪が降って地面が凍ってなんぼじゃないか。
そこんところをおまえはどう考えているんだ?
ひょっとして地球温暖化ブームに乗って浮かれてるんじゃないのか。
おまえの料簡が気に入らない。
顔を洗って出直してこい!

2020年1月24日


謹賀新年

むうむうあけましておめでとうございます。サイトを開設して二十回目のお正月を迎えました。今年も大いに遊んでくれたまえ。

2019年1月1日


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