夕空の法則

豆腐の角

小学生の頃、よく他愛もないいたずらをした。そのたびに担任の先生に言われた。

「豆腐の角に頭をぶつけて死ね」

私はいまだかつて豆腐の角に頭をぶつけて死んだ人を知らない。新聞の訃報欄にはよく目を通すが、豆腐の角が死因という人はついぞ見かけたことがない。

ところがある日、思いがけない情報をつかんだ。角に頭をぶつけて死ねる豆腐が実在するというのだ。

山形県西川地方に伝わる六淨豆腐である。高野豆腐の乾物よりも堅い。鰹節のように削り、お吸い物などに入れて食べるという。これか。これなのか。山形県西川地方には、この豆腐の角に頭をぶつけて死んだ人がいたのか。だがそんな話は聞いたことがない。タブーなのかも知れない。

誰がどうして思いついたのか不思議な表現はほかにもある。

「あさっての方を向く」

どっちだ。どこを向けばいいのだ。「明日の方」とか「昨日の方」とは言わない。ということは、人は「明日」や「昨日」がどっちなのか、分かっているということになる。だが「あさって」だけは誰にも分からない。

よく眼鏡をどこに置いたか忘れることがある。

「しあさっての方は探してみましたか」

そんなことを言われても困る。どこを探せというのだ。

「九月三日の方で見かけましたよ」

どこだ。九月三日の方はどこなのだ。わけが分からない。だが分からないのは「あさっての方」だけではない。

「頭から湯気を立てる」

かんかんになって怒る人は頭から湯気を立てる。肘から湯気を立てる人はいない。臍から湯気を立てている人はただちに病院に行くべきである。

「尻が長い」

話し込んでなかなか帰らない人だ。それにしても「尻が長い」である。さぞかし不便だろう。不便というよりも、はた迷惑である。尻をひきずりながら歩いている。埃が立つ。電車に乗る。七人がけの椅子に座る。尻が長いので、五人分を占拠する。吊り革につかまっている人が睨みつける。尻が長い人は肩身が狭い。

「尻の毛まで抜かれる」

何も残らないまで騙しとられる。だからといって、尻の毛まで騙しとられる人間はどうかしている。騙しとる方も騙しとる方である。「尻の毛を騙しとる」。なぜ尻の毛なのか。しかも、なぜ騙してとるのか。だが騙しとった人間は、これ幸いとばかりにあわてて逃げ出す。

「尻に帆をかける」

おまえは船か。船なのか。尻の毛を騙しとった盗賊が尻に帆をかけて川を下る。だが天網恢恢疎にして漏らさずだ。悪事は必ずばれる。盗賊は悪事を自白する。

「尻を割る」

警官の前で、尻を割ってみせる。みせつけられた警官はたまったものではない。汚い尻だ。なんて汚いんだ。そんなものを人前で割るな。だいたい尻は割るものではない。

そういう私は尻が青い。

(2001.11.2)