就職であれアルバイトであれ、避けて通れないのが履歴書だ。
いったい今まで何枚の履歴書を書いただろう。百枚とはいかなくても、数十枚はまちがいない。文房具屋で履歴書を買う。たいてい三枚とか五枚一セットだ。学歴欄に小学校から順番に書く。入学と卒業のたびに同じ学校名だ。面倒くさくてつい気がゆるむ。もちろん、高校あたりで字をまちがえる。修正液で直してつづきを書こうとすると、修正液はまだ乾いていないから、ボールペンの先が白い液体に刺さる。
「ぶにゅ」
がっかりである。なにしろ「ぶにゅ」だ。ペン先から黒いインクがぼってりと出て、修正液と混ざる。読めない。そのとき初めて、履歴書に修正液は不似合いだと気づき、二枚目を取り出してまた氏名から書く。三枚一セットでよかったとつくづく思い、職歴欄を埋めて左のページがやっと片づく。あとは右のページだ。家族構成や通勤経路、志望の動機。そしてペンをもつ手はとまる。
「趣味」
履歴書における最大の問題は「趣味」である。履歴書に限った話ではない。初めて会う人に趣味を訊ねるのはどうしてなのか。問題の根は深いが、とりあえず履歴書の「趣味」だ。
仕事がら、大学教員の履歴書を読むことが多い。ある日、フランス語の教員のを目にした。
「趣味 読書」
フランス語の専門家だ、毎日いろんな文献を読むだろう。そして趣味が「読書」である。ちょっとまずいんじゃないのか。
「人の趣味だ。とやかく言うな」
ではなぜ「趣味」を書かせるのか。
たとえば南極越冬隊だ。志願者が履歴書の「趣味」に書く。
「乗馬」
仕事ができないときは馬の話だ。吹雪で外に出られないと「横足の歩毎変換」の解説をし、砕氷機が故障すれば「18世紀イギリスで確立されたサラブレッドの起源」について語る。不眠に悩む仲間がいる。もちろん馬の話だ。
「日本最後の純血木曾馬は1975年に安楽死させられたんだ。だから安心して寝ろ」
だからも何も、こんな話を聞かされてどうしろというのか。
あるいは寺である。若者が履歴書を手に門を叩く。
「趣味 競歩」
修行の合間は練習だ。境内を修行僧が、腰をくねくねさせながら猛スピードで行くのだ。なぜなら、それが「趣味」だからだ。
(2003.3.17)