夕空の法則

素人

大阪梅田のビジネスホテルに泊まった。部屋に荷物を置き、一服しながらテーブルの引き出しを開けて、ホテルの案内を読んだ。チェックイン・チェックアウトの時刻、電話番号案内、朝食メニューなどが載っていて、後ろのページには同じ建物に入っている飲食店の広告がある。なんとなく目を通したら、こんな店があった。

「素人料理 杵屋」

「杵屋」はどこにでもありそうな店名である。厄介なのは「素人料理」だ。どうもよくわからないのだが、字面どおりに解釈すれば、素人がつくる料理なのだろう。それを、金をとって食べさせる。いったいどんな店なのか気になった。広告には店名と「二階」の文字しかない。とりあえず店構えだけでも見てみたい。二階を目指してエレベーターに乗った。

二階のボタンがない。

建物は五階建てで、一階がフロント、上階が客室だ。だが、なぜか二階のボタンがない。どうなっているのだ。階段で行けるのかもしれないが、あいにく小さなホテルで、非常階段しかない。しかも夜中だったので、ホテル内をうろつくのは憚られる。しかたなく部屋に戻って、ふたたび広告をじっと見た。「活魚」とか「フランス料理」とか「炉辺焼き」だったら無視していた。だがなにしろ「素人料理」だ。こんな店の広告があるばっかりに、夜中に頭を悩ませることになってしまった。しかもその店がある二階に行く方法がない。

そのまま寝てしまえばよかったが、気になって眠れなくなった。考えてもみてほしい。料理は素人のものである。それを堂々と商売にしている。そんな店があっていいものか。非常階段でしか行けない店。それはひょっとして「客お断りの店」ではないか。

「杵屋」に入って、料理を注文したときに何を言われるか考えると恐ろしい。

「客の相手なんかしてられるか。こっちは忙しいんだ」

なぜ忙しいのか皆目見当がつかないが、とにかく忙しいらしい。すごすごと店を出ようとすると板前は追い討ちをかける。

「出ていくくらいなら最初から入るな」

「杵屋」のような店が存在するからには、ほかの業種にも「客お断りの店」がある可能性がきわめて高い。

「患者お断りの病院」

医者は大の病人嫌いだ。玄関には大きな張り紙があるだろう。

「病人の来院固くお断りします」

あるいはタクシーだ。

「素人タクシー はやぶさ」

運転手が無免許なのは言うまでもない。道端で人が手を上げているのを見ると猛スピードで逃げる。客につかまっては商売上がったりだからである。ではどんな商売なのかが気になるが、世の中にはどうやって食っているのかわからない人が大勢いるから、どうにかしているに決まっている。それはおそらく「プロの客」を相手にしているということではないか。

「プロの客」が手を上げると素人タクシーは子犬のようにすっと寄り、地獄に仏とばかりにドアを開ける。運転手は喜色満面である。だが「プロの客」は行き先も告げず、じっとしている。なぜならその人は「カリスマ乗客」だからだ。

いつかカリスマになって「杵屋」を訪れてみたいものである。

(2002.3.24)