女性週刊誌にはたびたび驚かされる。買ったことはない。新聞の広告欄の見出しを読むだけだ。
驚きの原因は、女性週刊誌の奇妙な言語感覚である。たとえば、幼いわが子に熱湯をかけて折檻する母親の記事がある。大きな見出しの文字が躍る。
「鬼母」
意味は分かる。だが読み方が分からない。「おにはは」。どうも変だ。「おにぼ」。これもおかしい。だがこんな言葉で驚いてはいけない。
「鬼の馬鹿っ嫁、幼児を虐待!」
「馬鹿っ嫁」とはなにごとか。なぜ「馬鹿嫁」じゃいけないんだ。「ばかっよめ」。読みづらい。
子供を甘やかし放題の母親を糾弾する記事がある。
「超甘っ母」
読めない。だが女性週刊誌でいちばんよく目にするのは別の言葉だ。
子供の二重まぶたを接着剤で一重にしようとして、失明寸前にした母親がいる。女性週刊誌に見出しが躍る。
「ああ馬鹿っ母」
いったいどう読めというのか。「馬鹿」はいい。「母」もいい。問題は「っ」だ。「ばかっはは」。発音しづらい。なんて発音しづらいんだ。「ばかっぼ」。この間が抜けた様子はどうだ。「ばかっかあ」。もうどうにでもしてくれという気持ちになる。
こういうときは慌てないことだ。じっくり腰をすえて、よく考えてみよう。
拗音の「っ」のあとにハ行の音がくるときは破裂音になる。「さっぱり」「たっぷり」「汽車ぽっぽ」。みんなパ行だ。この法則をあてはめると、「馬鹿っ母」はこうなる。
「ばかっぱぱ」
パパになってしまった。
「っ」が悪い。すべての責任は「っ」にある。「馬鹿母」ならなんの問題もないはずだ。なのになぜか「っ」を書く。なぜか。なぜならそこは「女性週刊誌的なるものの世界」だからである。
「女性週刊誌的なるものの世界」の法則はほかにもある。
「お肌のお手入れ」
「肌の手入れ」で充分である。だが「お」をつける。「お」をつけないと女性週刊誌は気が済まない。
「お受験」
幼稚園の受験。ここでもやはり「お」だ。そして、こうした「女性週刊誌的なるもの」は、ほかの世界にも浸透していく。
「ナースのお仕事」
なぜ「仕事」ではないのか。なぜならそこは「女性週刊誌的なるもの」の支配する世界だからである。とにかく「お」をつける。
「女性週刊誌的なるものの世界」では、愛もまた、とんでもないことになっている。
「略奪愛」
夫婦愛とか兄弟愛という言葉なら昔からある。そこへ「略奪愛」が殴りこんできた。どんな愛だ。
「過激愛」
こうなるともう分からない。
ある人気若手女優が、恋人の俳優に手づくりの弁当を作って渡していることが発覚したことがある。恋人に弁当を作る人は珍しくない。だが女性週刊誌はその行為を「愛」とそのときの見出しはこうだった。
「手づくり弁当愛」
私は愛についてあまりにも無知である。
(2001.10.31)