インターネットのメリットのひとつに、誰でも気軽に発言できる場所があることが挙げられる。
チャットとか掲示板と呼ばれるところだ。チャットは、文字通り「おしゃべり」で、パソコンを通して見ず知らずの人とリアルタイムで会話ができる。だが、いちいちキーボードを叩かなければならないので、表示される言葉数はおのずと限られ、たわいもない短い文章が交互に交わされる。一方掲示板は、基本的には文字数に制限はなく(あるところもあるが)、じっくり考えて落ち着いて文章を書き、これでいいと思ったところで送信する。メッセージは「投稿」という形で保存表示され、読者からの反応があらたな投稿となって現れる。地理的な距離にとらわれない情報交換にはもってこいのシステムだ。
「誰でも気軽に発言できる」ことを成立させている根拠に、匿名性がある。
実名を公開するのがはばかられたり、個人情報を知られたくない人は、匿名で発言できる。昔のラジオ番組では、聴取者がペンネームで投書したものだ。最近はラジオネームと呼ばれているようである。インターネットの世界でこれに相当するのが「ハンドルネーム」だ。
「ハンドルネーム」
略してハンドルという。英語のhandleだ。元来は無線や市民ラジオのコールサインやニックネームという意味である。だがなぜか日本では「ハンドルネーム」という具合に、うしろに「ネーム」をつけた。これでは言葉を繰り返していることになる。
「ニックネーム名前」
どう考えてもおかしい。
わたしのホームページでも掲示板を開設している。友人知人先輩後輩親類縁者はもちろんのこと、見ず知らずの人も書き込んでくれる。そして全員がハンドルを使っている。たとえばこんな人がいる。
「でんでん」
でんでん虫が由来だという。ご家族に「でんでん虫に似ている」と呼ばれたのがきっかけだそうだ。よく投稿して下さる男性のハンドルはこうだ。
「たこ焼き村」
本名は「きむらたくや」さんである。苗字と名前を逆にすると「たくや・きむら」。そこから「たこ焼き村」が生まれた。
「まるで『タモリ倶楽部』の『空耳アワー』」
その他のご常連もみなハンドルである。
「なかよし」
「まむ」
「まあちん」
「トラストみっちゃん」
「ろる」
「Lilac」
どれもかわいらしい。
「綾翠」
典雅だ。
「ラッサナ・ラマヤ」
南米チリ在住の女性である。不思議な名前だ。
「ぐーねこ」
「猫丸」
「重虎」
なぜかハンドルには動物の名前が多い。とりわけ猫は大人気だ。だが猫だけではない。
「作業室のねずみ」
ねずみさんが作業している。チーズか。チーズをかじっているのか。
「KaBo茶」
カボチャか。それにしてもなぜこんな表記なのか。よほど身元を隠したい事情があるのだろう。
これらは少なくとも意味が推測できる名前だ。だが世の中にはわけがわからないハンドルがある。
「グリグリ」
なんなのだ。
「15」
年齢か。ラッキーナンバーか。あるいは投獄回数か。
「ろ」
お手上げである。皆目見当がつかない。
「けめさんと螺流ルジュさんと1Q3さんがべりおさんの悩み事を聞く」
議会制民主主義を支えている匿名性はとんでもない世界を作りつつある。
(2001.12.18)