毎日日記をつけている。
始めたのは中学生のときで、生意気にもタイプライターを使って英語で書いていた。大学生になって一時中断したが、十二年前からは毎日欠かさずパソコンで書いている。英語ではなく日本語でだ。ただし1986年と1992年の二年間だけはスペイン語で書いた。マドリード大学に留学していたからである。
先日、久しぶりに昔の日記を読んでみた。1997年4月20日である。『週刊新潮』の記事のことが書いてあった。まったく記憶になかった。
読んでみると、NHKの「放送ガイドライン」という記事に関するものだった。「放送界での不祥事が相次ぎ、テレビ局は放送倫理の徹底を迫られている。職員の意識向上を図るために、ガイドラインを作成した」という『週刊新潮』の特集記事の文面が書き写されていた。いわゆる「放送禁止用語」である。その一覧をみて驚いた。
「田舎」
NHKによると、これは〈差別的表現〉なのだそうである。そんな馬鹿な話があっていいものだろうか。たしかに「田舎くさい」などといって田舎をからかう都会人はいる。だが、差別する人の態度が問題なのであり、言葉そのものにはなんの罪もない。言われてみると、NHKのアナウンサーが「田舎」と言うのを聞いたことがない。やはり「放送ガイドライン」に従っているのだろう。すると心配になってくる。
「いなかっぺ大将」
昭和四十年前後生まれの人には懐かしいアニメである。NHKでは放送できないことになる。
「田舎そば」
これもだめだ。
「わたしの田舎は秋田です」
本人が田舎と言うのだから、誰にも文句を言う権利はないはずだ。いったい「放送ガイドライン」とはなんだろう。
ガイドラインの〈差別的表現〉はほかにもある。
「家柄」
なぜだめなんだ。部落問題などに配慮しているのかも知れないが、「家柄」を差別的な言葉と感じる人が本当にいるのだろうか。
「地の果て」
これもだめだという。理由がさっぱりわからない。
「女優」
これはアメリカでも同じで、アメリカでは男性も女性も「俳優」(actor)と呼ぶ傾向が近年強まっている。「女優」の反対は「男優」だ。だが「男優」といえばアダルトビデオの俳優と相場が決まっている。そこらへんのところに鑑みてのガイドラインなのかも知れない。
「二人三脚」
おいおい。どうしてこれもだめなんだよ。足が不自由な人に対する差別だとでも言うのか。ならば「馬脚をあらわす」や「足手まとい」もだめになる理屈だ。
だがいちばんわけのわからない〈差別的表現〉はこれだ。
「パン食い競争」
なにがいけないというのか。パンに罪はなかろう。「食う」か。「食う」がだめなのか。
「パンいただきます競争」
なんて間抜けな競争だ。もしかすると「食べる行為そのもの」がだめなのかも知れない。
「タバスコ飲み競争」
放送ガイドラインは謎だらけである。
(2002.2.5)