冬だ。
寒い。まったく寒いったらありゃしない。なにもこんなに冷やさなくてもいいじゃないかと天を呪いたくなるが、天は「これが商売なもんで」とでも言うかのように、空を曇らせ、粉雪を降らす。
季節には季節ごとに風物詩がある。夏の風物詩といえば花火だ。あるいは風鈴である。秋は紅葉だ。春は桜だろう。冬にも風物詩がある。クリスマスツリー。注連飾り。雪だるま。渡り鳥。人はえてして美しい風物詩を想起しがちである。だが「うんざりするような風物詩」について、人はあまりにも無防備ではないだろうか。
「風邪薬のコマーシャル」
冬になると必ず風邪薬のコマーシャルが増える。画面には、これ以上はひけませんというくらい風邪に苦しむ男女が、大げさに咳をしたり、くしゃみをしている。風邪をひいているんだから仕事を休んで家でじっとしていろと言いたいが、なぜか画面の人々は、マスクをし、マフラーを首に巻いて、寒風吹きすさぶ町を歩いている。すると、暖かい室内にいる有名タレントが姿を現して薬をかかげて宣伝する。有名タレントはなぜか必ず女性だ。しかも必ず決まった服装である。
「タートルネックのセーター」
風邪薬のコマーシャルの女性はなぜかタートルネックである。タートルネックのセーターはたしかに暖かい。それにしても、なぜどいつもこいつもタートルネックなのか。暖かい衣服はほかにもあるはずだ。
「腹巻」
腰だ。温めるなら腰である。だが風邪薬のコマーシャルで腹巻姿のタレントにお目にかかったことがない。
「ふんどしに腹巻姿のガッツ石松」
身を切るような風が吹く町を、ふんどし一丁に腹巻をしたガッツ石松が行く。風邪のウィルスもこれでは太刀打ちできまい。そもそもガッツ石松に風邪は似合わない。なぜかガッツ石松は風邪をひきそうにない。
体を温めるものは、なにも衣服に限らない。飲食物、とくに飲み物でもいいはずだ。たとえばココアだ。
「ココアを飲む和田勉」
ココアはいい。問題は和田勉だ。和田勉がココアを飲み、ガハハと笑う。なぜか、がっかりするほどまずそうに見える。なにがココアをまずそうに見せるのか。和田勉だ。和田勉のガハハだ。和田勉のガハハの前では、あらゆる美しきものは敗北を喫する。
うんざりする冬の風物詩はまだある。
「ホワイトデー」
この奇妙な風習はいったいいつまで続くのだろうか。バレンタインもどうかと思うが、ホワイトデーにはうんざりである。昔はマシュマロをお返しに贈るということになっていたが、最近はアクセサリーや下着などをプレゼントする男性が多いらしい。
「和田勉がブラジャーを買う」
またしても和田勉だ。和田勉がブラジャーを買うと、目的がなんであれ、突然そこに犯罪の匂いがたちこめるのはなぜだろう。
「和田勉がブラジャーを買い、ガハハと笑う」
人は風物詩についてしばしば無知である。
(2002.1.13)