TBSラジオの長寿番組に「全国こども電話相談室」がある。文化人や専門家が「先生」となって、子供たちの疑問に電話で答えるわけだが、聴くたびに、子供ってやつは油断も隙もないなと思う。
小学二年生の女の子がこんな相談を寄せている。
「なぜ男の子たちは私の名前を改ぞうするのですか?」
たぶん日ごろあだ名で呼ばれているのだろう。そのあだ名が気に食わないらしいが、それにしても、「名前を改ぞうする」という言い方にはっとさせられる。これだけ言葉の知識があれば、どうして男の子たちがあだ名で呼ぶのかの理由くらい見当がつきそうなものじゃないかという気もするが、女の子の胸中を察するに、おそらく悩みは深刻で、その深刻さを公共の電波で公けにする以上は精一杯の気を遣い、言ってみれば「よそ行きの言葉」を使ってみたという可能性もある。そんなことはともかく、答えだ。「先生」は答えるのだが、その「先生」が誰かと言えば、福尾野歩という人で、私はこの人を知らなかった。そして肩書きを聴いて驚いた。
「旅芸人」
旅芸人の福尾先生は女の子に「いつもなんてよばれちゃうの?」と尋ねた。女の子はこう答えた。
「『さやえんどう』とか『あじ』とか」
あだ名というものはたいてい好意の表明だから、「旅芸人」の先生も、「それはあなたが好きだからということもあるのかもしれないよ。男の子は、好きな人のことをいじめたくなっちゃうんだよね」と、あたりさわりのない答えだ。
だが、なかには、「あたりさわりがある答え」をする先生もいる。タケカワユキヒデ先生だ。小学三年生の女の子が質問する。
「夜にピアニカをふいて、ハム太郎の曲やろうと思うのですが、夜だからうるさいからだめと言われるんですけど、どうしたらいいですか?」
私なら「昼に吹け」のひとことで片づけるが、タケカワユキヒデ先生はちがう。
「音がイヤホンからきこえる楽器を買うのがいいと思います」
決してまちがったことは言っていない。だが、子供に向かって「買うのがいいと思います」ってことはないじゃないか。
人生相談に答えを求めるのは土台無理な話なのではないか。そう思ったのは、タレントのきたろうのホームページを見たときのことだ。「感情の起伏が激しくて、32歳になったいまでも、自分が大人であることが認識できない」という人が「大人って、どういうのが大人?」と訊ねている。きたろうは「牛だったらこんな悩みもないんでしょうけどね。自分は牛だと思うのはどうでしょう」と前置きをしてから、こう答えている。
「ヘリコプターに乗りなさい。頭では人生は変わりません。行動が人生を変えるのです」
子供も子供だが、大人も大人である。
(2002.7.16)