東京から愛知に引っ越してもうすぐ四年になる。
人生の大半を北海道と東京で過ごしたので、愛知には縁もゆかりもなかった。名古屋は人口が二百万人を超える大都市だが、なぜか「名古屋に行ってみたい」と思ったことは一度もなかった。
愛知に来て驚いたことはたくさんある。まず喫茶店が多い。石を投げれば喫茶店に当たるほど多い。喫茶店といえばモーニングサービスだ。トーストと玉子、コーヒーのセットがふつうだろう。だが愛知はちがう。
うどんと茶碗蒸とコーヒーで三百五十円
いったいどういう組み合わせだ。だがこれが愛知の真実なのだった。
愛知といえばトヨタを忘れてはいけない。愛知の工業生産高は沖縄の六十倍で、日本一である。その基盤は自動車や精密機械などの重工業である。なかでも自動車関連の企業の多さには驚かされる。
トヨタの本社がある豊田市は、昔は挙母(ころも)町と呼ばれていた。会社が成長するに従って、挙母町は会社名の「豊田」になり、町から市に格上げされた。自動車メーカーで市がひとつできる。それが愛知なのだ。
トヨタ自動車はアメリカでは顧客満足度ナンバーワンだそうである。そのトヨタのお膝元が愛知であるからには、愛知にはすぐれた自動車文化があるにちがいない。運転のマナーもさぞかし洗練されているにちがいない。私はそう思って愛知にやってきた。そして驚いた。
「愛知には独自の道路交通法がある」
道路交通法は全国どこでもおなじ規則である。あたりまえだ。だが愛知だけはちがう。
あなたが交差点で信号待ちをしていたとしよう。歩行者の信号は赤である。車がビュンビュン飛ばしている。車の信号が赤になり、歩行者用信号が青になる。そのとき、あなたは横断歩道を渡ってはいけない。なぜなら、愛知の車は赤信号でも止まらないからだ。
「愛知道路交通法第一条 赤信号は存在しないものとみなす」
真夜中の国道23号線を渡る人は誰もいない。なにしろ信号が赤でも大型トラックが猛スピードで飛ばしまくるのだ。
あなたが運転していたとしよう。どこかに車を停めたい。だがあいにくどこも駐車禁止である。でも気に病む必要はない。
「愛知道路交通法第二条 車はどこに駐車してもよい」
駐車禁止の道ばたは言うに及ばず、車庫の出入り口、民家の玄関の前、果ては交差点の角や警察署の周りなど、およそ道があるところならどこにでも駐車してかまわない。
ここから先はもう詳しく説明するまでもないだろう。
「愛知道路交通法第三条 道路標識に意味はない」
「とまれ」「徐行」「制限速度」「急カーブ」などの標識に従う必要はない。走りたいように走ればよい。当然交通事故は後を絶たない。交通事故死亡者の数は毎年全国一位か二位である。
「愛知道路交通法第四条 つねに交通事故死亡者数全国一をめざす」
事故が起きると車は処分される。当然業者は仕事が増える。こうして愛知の自動車産業は潤うのだ。
「これでは歩行者にとって地獄ではないか」
そのとおりである。歩行者は決して道を歩いてはいけない。そのかわり、歩行者が歩ける場所が用意されている。
「日本一巨大な地下街」
日が当たる道は自動車のために存在する。歩行者は暗い地下を歩くのが愛知のしきたりである。
私は道を歩くとき、歩行者ではなく暴走者として突っ走っている。
(2001.11.24)