毎日「夕空の法則」を書いていると、意外な人から感想を頂戴する。
文筆家かどうか自分ではわからないが、まあ文章を書いて人さまにご照覧いただいているのだから、文筆家の末席に名を連ねていることになるのだろう。そこでありがたいのが読者の感想だ。これほどありがたいものはない。未知の読者に出会えるのも楽しいが、すっかりご無沙汰してしまった友人知人から反応があると、欣喜雀躍する。
つい先日、ある人から感想が届いた。七年前に大学院で一緒に勉強していた後輩の女性である。理知的で聡明な人だ。ちょっとした事情があり、しばらく音信普通だった。だがこのホームページを見つけてくれて、メールをくれた。飛び上がるほど嬉しかった。
メールには、わたしのホームページについて、こんなことが書いてあった。
「心のオアシスです」
喜ばずにいられようか。オアシスだ。砂漠で唯一水がある場所だ。ということは、彼女の人生はなんであるか。
「砂漠の人生」
これはつらい。さぞつらいことだろう。どんな事情があるにせよ、砂漠の人生はたまらない。行けども行けども砂だ。太陽が情け容赦なく照りつける。喉はからからだ。もうだめだ、今度こそだめだと諦めたその瞬間、はるかかなたにキラキラと輝くものがある。
「オアシス」
水だ。待望の水だ。
砂漠で水を見つけた人はどんな気持ちになるか。
「ほっとする」
そりゃそうだろう。そして、ほっとする人は、しばしばこう言う。
「心のオアシスです」
だが、ほっとするのは、なにも砂漠で水を発見した場合に限られるわけではない。なかには、まったくちがう状況でほっとする人もいるだろう。
「糠漬けを食べるとほっとする」
糠漬けを食べるとほっとする人にとって、わたしのホームページはどんな存在か。
「心の糠漬けです」
喜んでいいのだろうか。だが、糠漬けを食べるとほっとする人からすれば、これ以上の褒め言葉はないはずだ。
残業で疲れている人がいる。唯一の楽しみは、帰宅途中に、「つぼ八」で同僚と飲んだくれて上司を罵倒することだ。酒の勢いに任せて、舌鋒鋭く罵る。気分がせいせいする。ほっとする。ストレス解消である。この人がわたしのホームページを読んだらどう言うだろうか。
「心のつぼ八です」
いいのか。これでいいのか。なんだか「つぼ八」の宣伝文句に聞こえるから、複雑な気持ちになる。
「今日も読みましたよ、つぼ八」
こんなことを言われては、なにがなんだかわからない。
だがこの人は帰宅すると地獄が待っているのだった。
「妻」
毎日帰宅が遅い夫を妻が叱る。夫は言われるがままである。妻の怒りはおさまらない。
「さっき風呂入る言うてから何分たっとるんじゃ。いつまで待たせるんじゃ。種火はタダ違うのわかっとるんか!」
鬼嫁である。そして妻は夫に天誅を下す。
「往復びんた」
鬼嫁がわたしのホームページを読む。
「心の往復びんたです」
鬼嫁には読んでもらいたくない。
(2002.2.13)