夕空の法則

女帝論

皇太子妃が無事女の子をご出産した。

皇太子は平成天皇のお世継ぎである。もしお生まれになったのが男児であれば、平成の次の次の天皇になる。だが女児だったことで、「女帝論」がささやかれはじめた。

誰が天皇になるかは皇室典範という規則で定められており、男子が継ぐことになっている。だが世は男女同権の時代である。世論調査では女性天皇を容認する人が多い。だが皇室典範では認められていない。これを見直そうというのが「女帝論」である。

古代日本に女帝はいた。卑弥呼にはじまり、推古、皇極、斉明、持統、元明、元正、孝謙、称徳はいずれも女帝の時代である。

天皇制の是非についてわたしはわたしなりに考えがあるが、それはおくとして、天皇が女性でもかまわないと思う。ただし、皇室典範を改正するまえにやらねばならないことがあるのではないだろうか。

皇室の人たちには選挙権がない。
 戸籍もない。
 住民登録もしていない。
 税金も払っていない。

これはどういうことか。

「天皇家は『国民』ではない」

少なくとも法律上では天皇家は「国民」ではないのである。正確にいえば「人間」ではないことになる。

人間でないものを殺しても殺人罪には問われない。では皇室の人を殺したらどんな罪に問われるのか。国家反逆罪や治安維持法は過去のものである。

「動物虐待」

これしか考えられない。これは大変困ったことではないか。まず天皇家を「人間」にするのが先決ではなかろうか。

お生まれになった女の子の名前は七日に決まるらしい。どんな名前になるにせよ、まず、「人間」として扱ってあげたい。そして人間らしく生きてほしい。

「人間らしく生きる」

最近の女の子はオシャレだ。

「あえてルーズソックスをはかない」

もはやルーズソックスではない。ハイソックスだ。ぜひともハイソックスをはいてほしい。

「茶髪」

髪の毛の色は自由に染められる時代だ。茶髪大いに結構ではないか。これでこそ「開かれた皇室」である。

「反抗期に暴れる」

誰にでも反抗期はある。どんどん親に反抗すればよい。

「金属バットで親の頭を殴る」

ちょっと待て。金属バットはまずい。それはまずいだろう。不良少女になってしまう。

「ヤンキーになる」

飯島直子も瀬戸朝香もヤンキーだった。しかし皇室の人がヤンキーになっていいのだろうか。いいのだ。なにしろ「開かれた皇室」である。

「スケ番になる」

不良少女への道まっしぐらだ。皇太子ご夫妻は心労が絶えない。

「自分の心と体が一致していないことにきづく」

なんということだ。性同一性障碍である。女の子だが、心は男だと気づいてしまった。世の中には、外見の性と内面の性の不一致に悩む人が意外に多い。

「モロッコで性転換手術をする」

とうとう「男」になってしまった。モロッコで性転換手術をした人が入り浸るところといえば決まっている。

「歌舞伎町二丁目のバー」

 いつのまにか歌舞伎町のバーのオーナーになっている。だがこれで国民はひと安心だ。もう皇室典範の見直しをしなくて済むからである。

(2001.12.6)