夕空の法則

距離

ぱっとわからないのはつくづくいやだ。

実感したのはつい先日だ。飛行機で札幌に向かっていた。急用でとるものもとりあえず乗った。ふだんは本を読むのだが、あいにく持参していない。新聞を頼んでもいいがその日のニュースはあらかた知っていたので、こうなるともう機内誌しかない。

「翼の王国」

目的もなくページを開くと「マイレージクラブ」の案内だ。

「ANA・エアーニッポンおよび提携航空会社便のご搭乗はもちろん、提携先のツアー、ホテル、食事、レンタカー、ショッピングなど生活のあらゆる場面でマイルが貯められます」

飛行機はよく乗るのに一度も利用したことがなかった。理由を考えてみると、「マイル」という単位がピンとこないせいだと気づいた。

「マイル」

1マイルが1609.31メートルだという「知識」なら中学くらいからある。だが問題は「知識」ではない。

「ぱっとわからない」

キロならいいのだ。「3キロ歩きました」ときけば、40分くらいかかったんだろうな、けっこう汗もかいただろう、平坦な道ならいいけど起伏があれば結構疲れるなと、「経験」からわかる。距離が一種の「重さ」として体にしみこんでいる。

その点マイルはだめだ。

「3マイル歩きました」

わからない。1609.31に3をかけたところで何の解決にもならないのは明らかだ。だいたい、1609.31という数字の中途半端さがいけない。

わからない距離にヤードもあるが、ゴルフをする人はピンとくるのだろう。「残り20ヤード」を、ゴルファーは「重さ」として知っている。アマチュアでさえそうなのだ。プロはどんなときもヤードだ。

「駅から390ヤードです」

ヤードではじめてピンとくる。「よし、行ってくるか」と、足取りも弾む。ではミクロの世界はどうなのか。

「オングストローム」

1億分の1センチだ。計測する人は「重さ」で実感しているのだろうか。コンピューター制御の精密な測定装置をあつかう手の微妙な動き。

「もうすこし、右」
 「ここか」
 「もうちょっと。そこ」
 「ここか。ここだな」

知るとは、体で知ることだ。「光年」だって、体で知ってはじめて知ったことになる。

だから私はマイルではなくキロを貯めたいのだが、「提携ホテルご1泊で300キロ」が妥当な距離あるいは重さなのかどうか、わからない。

(2003.5.4)