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まるや君

「まるや君」と出会ったのは一年ほど前である。

人ではない。インターネット上のプログラムの名前だ。丸谷才一という作家がいる。彼は文章を旧仮名遣いで書くことで有名である。「猫がじっとしている」。丸谷ならこう書く。「猫がぢつとしてゐる」。明治の文豪のような雰囲気がある文だ。

「まるや君」は、普通の文章を入力し、ボタンをクリックすると、その文章を旧仮名遣いにしてくれるだけでなく、漢字も旧字体にしてくれる。「学校」は「學校」になる。文章を「丸谷っぽく」変換するのだ。ためしに「旧仮名遣い旧字体」と入力して、変換してみた。

「舊假名遣ひ舊字體」

読めない。「舊」が読めない。「體」は「体」のことらしい。だがそれはいい。私は一瞬のうちに明治の文豪になってしまった。この事態は何を意味するのか。言うまでもない。「どんな人も明治の文豪にされてしまう危険がある」ということだ。

今朝の新聞広告を見た。「一回千五百円」という文字がある。「まるや君」の出番だ。

「一囘千五百圓」

去る日曜日の「日刊スポーツ」の芸能欄に、えなりかずきのインタビューが載った。「コメディーお江戸でござる」や「渡る世間は鬼ばかり」で有名な、中学生にしては妙に大人じみた俳優だ。屈託のない笑顔で質問に答えている。「まるや君」はここでも威力を発揮した。

「ええ、慥かに云はれてゐるやうですけど、自分のスタイルを崩さないだけです。まあ、われ關せずですね。強ひて舉げれば、ゴルフをやり始めてから、こんなキャラクターになつたと思ひます。ゴルフウエア着るし、オジさんキャラ原點はゴルフかも」

堂々たるものだ。えなりかずきは、こうでなくちゃだめだ。

私は日本野鳥学会の会員である。毎月『野鳥』という雑誌が届けられる。今月号に下坂玉起さんという人が「お茶と鳥の羽」というエッセイを書いている。出だしはこうだ。「バードウォッチングと茶の湯の両方を趣味としていると、片方だけでは気づかない面白いことが色々発見できます」。「まるや君」は情容赦なく、下坂さんを明治の文豪にする。

「バードウォッチングと茶の湯の兩方を趣味としてゐると、片方だけでは氣づかない面白い事が色々發見出來ます」

ところで、今、私は、「私は日本野鳥学会の会員である。毎月『野鳥』という雑誌が届けられる」と書いた。「まるや君」が隣でうずうずしている。どうやら変換したくてたまらないらしい。そうか。そんなにしたいのだな。では、するがいい。

「私は日本野鳥學會の會員である。毎月『野鳥』と云ふ雜誌が屆けられる」

「まるや君」はご満悦である。

(2001.10.12)

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