手紙について考えていた。
「なに言ってるんだ。今は電子メールだよ」
そんなことは百も承知だ。だが、恩師から頂いたお中元のお礼なのだ。こういう場合はやはり手紙だろう。だがパソコンが普及して以来、人は手で文字を書かなくなっている。ましてや手紙となると、時候の挨拶とか結語など、七面倒くさい作法がある。そんな時に頼りになるのが有名人の書簡集だ。文豪と呼ばれる人たちの手紙はたいてい書簡集として発売されている。中には、さまざまな作家たちの手紙を集めた本まである。たとえば江国滋編『手紙読本』(福武文庫)だ。北原白秋、石川啄木、夏目漱石、梶井基次郎、萩原朔太郎など、錚々たる顔ぶれである。手本にすれば、素晴らしい手紙が書けるに違いない。私は本を開いた。まず目に飛び込んできたのは、中島敦が八歳の息子に送った葉書だった。
「きのうヤルートへつくとすぐ小さな船(ボンボンボンといって走るやつ)にのりかえてべつの島に行きました。そのとちうでいるかが三十ぴきばかり、ぼくらの船をとりまいて、きょうそうするように、およぎました。あたまを出したり、しっぽを出したりしておよぎます。中には空中にとびあがるものもあります。ぼくから十メートルくらいはなれた所で三匹そろって一どにとぎました。いるかはとてもふざけんぼですよ」
イルカがとても「ふざけんぼ」であることが分かっただけだった。ページをめくる。室生犀星が長女と次男に宛てた手紙がある。
「おてがみはよくかけている。感心だ。
毎日おにわの手入れでいそがしく、だいどころのたなをきょう吊っている。にわのかきの木をきょうやまから取ってきて、うえるのを待っているところじゃ。スナもとっておくつもりじゃ」
なんだこれは。「じゃ」である。言葉のしめくくりに「じゃ」と書く人を初めて知った。私は興奮した。少しページを飛ばした。森鴎外が息子に書いた手紙があった。
「松魚節煮付一鑵朝鮮飴一箱豚肉一鑵ヰスキイ六本マシユマロ一箱烟草二箱右到著靑山吉永へは禮状差出濟
十二月十八日」
すごい。言いたい言葉だけをただ羅列している。これ以上簡潔な手紙があろうか。どうやら手紙の作法の世界はただごとではないようである。私は楽しくなってきた。もう礼状のことは忘れている。ページをめくれば驚きの連続である。はやる心をおさえて、私は次の手紙を呼んだ。太宰治だった。
「困難の一年でございました
死なずに
生きとおして来たことだけでも
ほめて下さい」
いきなり何を言い出すんだ。受け取ったのは川端康成である。続きを読むと、どうやら「芥川賞をくれ」ということらしい。私はいきなり打ちのめされた。「ふざけんぼですよ」の世界は、ここにはない。はやる心は、凍てついてしまった。心に寒風が吹きすさぶなか、私はもう一通の太宰の手紙を読んだ。芥川賞選考委員の佐藤春夫に宛てたものだ。「拝啓」から始まるその手紙の最後は、こうしめくくられていた。
「家のない雀」
こんな手紙は受け取りたくない。
(2001.10.5)