夕空の法則

そういうことになっている

ものごとには作法というものがある。礼にかなった立ち居振る舞いのしかただ。

作法を誤ると、どうにも恰好が悪くなる。礼儀にかなっていないと叱責される。たいていの作法は人に教わって初めて習得する。だが、なかには理由も起源も分からないのに、気がついた時には習得してしまっている作法もある。そういう作法の特徴はこれだ。

「なぜかそういうことになっている」

どうしてなのかは分からないが、その作法に従わないと恰好がつかない。さまにならない。たとえば牛乳の飲み方だ。

「空いている方の手を腰にあてる」

誰が始めたのかは知らない。理由も分からない。だが、腰に手をあてないと、「牛乳を飲む」という行為は完成されない。腰に手をあててこその牛乳飲みである。

電話で人に謝る。

「見えない相手にお辞儀をする」

相手は見えないのだ。にもかかわらずお辞儀をする。お辞儀をしたところで相手にはその仕草は伝わらない。それでもお辞儀をしないとどうも落ち着かない。

座ったり立ち上がったりする。

「どっこいしょと言う」

どっこいしょ。なんなんだこの言葉は。間が抜けている。ためしに口にしてみるがいい。どんな権力者や偉い人でも、「どっこいしょ」と口にした途端に権威はがらがらと音を立てて崩れる。「どっこいしょ」の前では権力は無力だ。つまり「どっこいしょ」のおかげで、人間はみな平等になれるのである。これが座ったり立ったりする時のしきたりだ。

 人に頼んだり、媚びへつらったりする時がある。

「両手を体のまえでこすり合わせる」

揉み手ともいう。これは決して牛乳を飲む時の作法ではない。なぜなら牛乳を落としてしまうからだ。

急に何かに気付いたり感心したりすることがある。

「膝を打つ」

注意しなければいけないのは、打つのは自分の膝だということだ。相手の膝を打ってはいけない。また、人に謝る時に行ってはいけない。相手にどんな仕打ちをされるか、想像しただけで恐ろしい。取り返しがつかないことになる可能性が大きい。

じれったい時や、恥ずかしい時の作法はかなり奇妙である。

「畳に人さし指で何度も『の』という字を書く」

フローリングの床でやってはどうもさまにならない。畳だ。畳でなくてはダメだ。服は着物だ。アロハシャツではまずい。海水パンツ一丁などもってのほかである。

第三者の恋人や愛人を指し示す時の作法も忘れてはいけない。

「小指を立てる」

この時、中指だけは立ててはいけない。間違いなく殺される。薬指を立てられる人は単なる器用貧乏である。

滅相もありません、とか、とんでもないです、などと言いたい時の仕草も重要だ。

「目の前で片手をひらひらと左右に動かす」

くれぐれも片足をひらひらさせてはいけない。それではなんのことだかさっぱり分からないからだ。「耳を左右にひらひらさせる人」はただのびっくり人間である。「顎を左右にひらひらさせるような人」はどうかしている。

「鼻を左右にひらひらさせる」

そんな芸当ができる人がいるなら、ぜひ会ってみたい。

(2001.11.8)