どういうわけか、時と場所によっては口にしてはいけない言葉というものがある。
会社で部下が上司の労をねぎらおうとして、こう言う。
「ご苦労さまでした」
これはマナー違反らしい。「ご苦労さまでした」は公的な関係における、上から下へのねぎらいの表現だからだ。「お疲れさまでした」であれば問題はない。
結婚式で新婦の上司が祝辞を述べる。
「皆々さま、新婦の良子さんはご結婚なさって会社を去られるわけですが、これからは仕事に追われることもなく、サラリーマン生活を終え、故郷に帰ります。今後お目にかかる機会が減ると思うと、かえすがえすも残念です」
冠婚葬祭のマナーの本によると、これは禁句だらけでだめだという。「皆々さま」「かえすがえす」などの重ね言葉は縁起が悪く、「去る」「終える」は別れを想像させ、「追う」「帰る」は不安定感をもたらすので、いずれも禁句だそうだ。
手術を控えている患者が担当医に言う。
「先生を信頼しています」
これも禁句だという。失礼なのだろう。
受験生に向かって、「さっき廊下で滑って転んじゃったよ」というのも禁句になっている。「すべる」が「試験に落ちる」に通じるからである。
俳句や和歌の世界にもさまざまな禁句がある。だがわたしたちにもっともなじみがある禁句といえば、放送禁止用語だろう。
「めくら」
盲人だ。だが放送業界では「視力障害者」「目の不自由な人」と呼ぶ。井上ひさしの小説『薮原検校』で、主人公の盲人が「めくら」呼ばわりされたのを受けて、「なんだ、"めあき"のくせに」と応じる場面があった。「目暗」ではなく「目開き」のくせに半人前だとからかっているのである。これはすぐれたユーモア感覚だと思うが、放送業界は受け入れるそぶりがない。
「片手落ち」
もともと侮蔑的な意味などないのだが、片手がない人を連想させるというのでなるべく用いないしきたりになっているらしい。
こうやっていろいろ調べていると、どうやら世界は禁句で満ちあふれているように思える。
「禁句だらけ」
ちょっと気を抜けば、いつなんどき禁句を口にするか知れたものではない。そして、誰も知らないところで、おそるべき禁句が存在する可能性がある。
「殺し文句」
男女の間で、相手の心を強く引きつけるような巧みな言葉という意味だが、字面どおりに解釈すると、これは、人を殺す言葉だ。
「殺人言葉」
おそろしい。なんておそろしいんだ。それを口にした途端、目の前の人が即死する。
ここだけの話だが、じつは私は殺人言葉を知っている。四文字の言葉だ。ぜひ紹介したい気持ちは山々だが、なにしろそれを口にすると周りの人が死ぬ。まことに残念だが、ここは伏字で我慢していただきたい。○○○○
書いてしまった。私の手は恐怖のあまり震えている。念を押しておくが、決してこの言葉を公の場で口にしてはいけない。友人とのなにげない会話でも要注意である。
「ねえ、わたし最近○○○○なんだけど」
相手は手足が千切れ、腹が割け、内臓が飛び散り、あたりは血の海になる。
だが世の中にはもっとおそろしい言葉がある。それを口にすると、たちまち世界が滅ぶのだ。
「最終兵器言葉」
これを口にすると、世界は一巻の終わりである。私はあるところでその言葉を知ってしまった。
×××
三文字である。もうこれ以上はなにも申し上げられない。本当のところを言えば、私はこの言葉を口にしたくてうずうずしている。だが忍の一字でぐっと堪えているのだ。私は肝に銘じている。
「×××を口にするなかれ」
私はひそかに世界を救っている。
(2001.11.20)