朝刊の日曜版を読んでいたときのことだ。
日曜版はおもに書評欄を楽しみにしている。今週はとくに面白そうなものはなかった。翌日が休刊日ということで、テレビ・ラジオ欄が二日分にわたって真ん中のページにある。
「最終面はどうなっているのだろう」
見た途端、巨大な文字が目に飛び込んできた。全面広告だ。
「考える前に英語が、でしゃばってくる!」
なんだこれは。ざっと目を通してみた。どうやら英語の語学教材の宣伝らしい。テキストも辞書もいらないという。CDかカセットを聞くだけだという。
「それなら昔からある」
だが今回のはちがうらしい。
「ピンズラーメソッド」
聞きなれない言葉だ。説明がある。
「『ピンズラーアメリカ英語』では学習者に質問をし、正しいと思う答えを記憶の中から探して答えるレッスンに重点をおきます。頭を働かせてワクワク楽しめるばかりか、“英語で考え”“英語で答える”ネイティブ思考回路を作ることができます」
アメリカへの移民たちがこのメソッドを使い、驚異的な速さで英語をマスターしたと、宣伝文句は謳っている。
まるで夢のような話だが、どうも気になる。
「考える前に英語が、でしゃばってくる!」
この場合、「考える」というのは「日本語で考える」という意味だろう。日本語で考える前に英語がでしゃばる。語学の達人ともなれば、もはや日本語で考えるまでもなく、英語で考えているという話はよく耳にする。その人の頭の中はどうなっているのか。
「英語がでしゃばっている」
うるさくてしかたがない。思わず言うだろう。
「でしゃばるな」
だがこの人は英語で考えているのである。「でしゃばるな」も英語で言うのだろう。
「It's none of your business」
ところが英語は黙ってはいない。
「Hey」
英語で考えている人が、でしゃばってくる英語に英語で応対している。では、「でしゃばってくる英語」を話しているのは誰なのだろうか。
「知らない人」
頭のなかに知らない人が住んでいる。そして、でしゃばる。いい加減にしてほしい。だが、知らない人はとにかくでしゃばる。知らない人は、次第に調子に乗るかもしれない。
「考える前に、英語が減らず口をたたく」
知らない人が頭のなかでしゃべり続ける。
「I'm gorgeous」
もしこの人が中国語をマスターしたらどうなるか。
「考える前に、中国語がたたみかける」
中国語が矢継ぎ早に繰り出される。
「各種手機顯示網路名稱的形式有所不同」
スペイン語を習得したときのことを考えるとおそろしい。
「考える前に、スペイン語がわめきちらす」
頭の中の知らない人が泣きながら「セニョール」を連呼する。泣かなくてもいいじゃないか。
「考える前に、ドイツ語が脅迫するロシア人」
ピンズラーメソッド。こわくて手が出せない。
(2001.12.13)