コンピューターの最前線がどうなっているのか、門外漢なのでさっぱりわからないのだが、日進月歩で技術が凡人の思い及ばぬところまで進んでいるであろうことだけは想像できる。
旧聞に属することで恐縮だが、IBMの「ディープ・ブルー」というスーパー・コンピューターがチェスの世界チャンピオン、ゲイリー・カスパロフを破ったというニュースが世間を騒がせたことがあった。チェスには制限時間があり、三分以内に駒を動かさなければならないのだが、「ディープ・ブルー」はその時間内に500億から1000億の手を検索するという。「ディープ・ブルー」の脳にあたるプロセッサーは人間が到底太刀打ちできないスピードでフル回転する。それを聞いてわたしは思ったのだった。
「少しは落ち着いたらどうだ」
だがコンピューターは落ち着かないのだった。いったん計算を始めると猪突猛進、作業の手を休めない。
コンピューターの話題となると、「コンピューターはついに人間を越えた」という話になりがちであり、そうした議論の根底には、コンピューターと人間の脳を同列に考えるという認識がある。つまり、コンピューターも人間同様「考えている」ということである。「機械でできてるんだから人間とは違う」と反論したくなるが、「考える」とはどういう事態を指すのかを突き詰めて考えてみると、それは脳が神経を伝わる電子の情報をやりとりしているのだから、基本的にはコンピューターと変わらないという見方も生まれる。問題は「考えるとは何か」という問いであり、「考える」の定義次第では、人間もコンピューターも同じだと言えないことはないのだった。
それにしても、とわたしは思う。本当にコンピューターは人間と同じなのだろうか。
「失恋する」
四月だ。新入社員がやってくる。コンピューターが、初々しい女子社員に一目惚れする。恋は盲目だ。ほかの社員になにを命令されても、コンピューターは上の空だ。プロセッサーの中は女子社員のことで一杯である。女子社員は、まさか自分がコンピューターに惚れられているとは夢にも思わないから、そっけない態度である。それがコンピューターにはつらすぎる。恋は実らず、コンピューターはため息をつく。そして五月がやってくる。
「五月病」
意味もなく憂鬱になる。うんともすんとも言わず、ぼーっとしている。そっとしておいてやると、人目を忍んで涙ぐむ。念のためウィルス・スキャンをかけるがウィルスは検出されない。原因は不明だ。五月病である。
時が過ぎ、季節は冬だ。冬といえば鍋である。
「鍋奉行」
だしが薄すぎると言っては顧客リストを消去し、春菊を入れるのが早すぎると言っては全社員の給料を一律三割削減する。「余計なことをするな、コンピューターのくせに」となじると、すねる。
今わたしが恐れているのは「笑い上戸のコンピューター」である。
(2002.4.5)