夕空の法則

有線放送

長く東京で暮らしてから愛知に移り住んで四年になる。東京にいた頃はよくラジオを聴いていた。テレビはほとんど観ない。もっぱらラジオである。テレビは「ながら」ができない。「ながら」とは、「○○しながら」という意味である。ラジオは「ながら」ができる。本を読みながら聴くこともできるし、目をつぶって横になっても構わない。なんて融通が利くんだ。ラジオが新入社員だったら、出世はとんとん拍子だろう。

だが愛知に来て私のラジオ人生は変わった。NHKは全国放送だからいい。問題は東京のニッポン放送や文化放送などの民放キーステーションである。地方では、東京の人気番組が往々にして聴けないことが分かったのだ。私は途方に暮れた。

「有線放送、引いたら?」。そう知人に言われるまで、私は有線放送についてあまりにも無知だった。有線放送を引くと、地方在住者も東京のラジオ番組が聴けるのである。誰もが携帯電話を使う現在、「有線」という古いシステムが生き残っているというのが面白い。躊躇わず、私は加入した。

我家に有線放送が引かれた。番組表をみて驚いた。なんと440チャンネルもあるのだ。そしてどのチャンネルもコマーシャルがなく毎日24時間放送している。大好きな東京のラジオ番組も聴ける。ラジオ人生には輝かしい未来が約束されていたかにみえた。

だが一年ほど経った年末、突然東京のラジオ番組が廃止されてしまった。各局との契約がうまく行かなかったと会社の人が説明してくれた。私はうな垂れたが、あらためて番組表をみて、武者震いがした。なにせ440チャンネルだ。どんな番組があるのだろう。さっそくいろいろなチャンネルに合わせてみる。

「羊の数」

いったいなんだこれは。「羊が548匹、羊が549匹」。エコーがかかった野太い男の声が、ゆっくり羊を数えている。24時間、ただ羊の数を数えているのだ。「眠れない時には羊の数を数えればいい」。なぜか誰もが一度は聞いたことがある話だ。それにしてもこの声の野太さはどうだ。これではとうてい眠れやしない。私はチャンネルを変えた。

「スイス・ヨーデル」

途端に部屋中にヨーデルが鳴り響いた。ヨーロレイヨーロレイヨーロレイヒーである。24時間ヨーデル。脳裏に「ヨーデル地獄」という言葉が浮かぶ。恐ろしくなり、またチャンネルを変えた。

「客の呼び込み」

「安いよ安いよォ!」。威勢のいい青年の声である。妙にテンションが高い。我家はたちまち大安売りの店になってしまった。これではいけない。チャンネルを変える。

「アリバイ」

雑踏と車が行き交う音である。なにがアリバイなのか分からなかった。しばらく聞いているうちに、これは仕事をさぼっている営業マンなどが、いかにも街に出て仕事をしているように装うために用意された番組らしいと読めた。

有線放送は侮れない。

(2001.9.30)