夕空の法則

こんな時代だからこそ

荒川洋治の『文学が好き』を読んでいたら、こんな文章に出くわした。

「でもぼくは文学が好きだ。こんなことをいうのは、ちょっと恥ずかしいけれど、こんな時代だからこそ、打ち明けてみたくなった。みなさん、ごめんなさい。ぼくはとても、文学が好きです」

文学が好きらしい。それもちょっとではなく「とても」である。そう告白するのに、なにもわざわざ謝らなくたってよさそうなものだが、本人はなんだか照れくさそうである。だがそんなことはどうでもいいのであった。

「こんな時代だからこそ」

いったい「こんな時代」とはどういう時代なのか。文脈から察するに、「文学が嫌われている時代」ということのようだ。そして、あたりを見回せば、「こんな時代だからこそ」はいたるところにあることに気がついた。

「こんな時代だからこそ、私たちは、お客様一人一人の夢のお手伝いをしたいと考えています」

スルガ銀行の宣伝文句である。銀行にも「こんな時代」がある。だが「こんな時代」は銀行に限らない。

「急募!在宅でのサイドビジネス希望の方━━こんな時代だからこそ、まじめなあなたの希望を光にかえてみませんか」

在宅の広告代理の仕事の宣伝である。

「先行き不透明なこんな時代だからこそ、大切な愛犬の獣医にかかる医療費を確実に減らすことができるフードが必要です!」

ペットフードだ。ペットフードにも「こんな時代」がある。いったい「こんな時代」とはなんなのだ。

「世界貿易センタービルが倒壊する時代」

まさにテロの時代である。

「先行き不透明な世界貿易センタービルが倒壊する時代だからこそ、大切な愛犬の獣医にかかる医療費を確実に減らすことができるフードが必要です!」

同時多発テロとドッグフードにどんな関係があるというのか。だが「こんな時代だからこそ」と言うだけで、そこにはなにか緊迫した感じが漂う。じっとしていてはいけない、行動を起こさねばならないと人に思わせる魔力がある。ここでは文脈は不要だ。とにかく「こんな時代だからこそ」である。「こんな時代だからこそ」を使えば、どんな人も足をとめ、振り向くことになっているようだ。

失業者は増える一方である。銀行の利子は限りなくゼロに近い。大手企業は吸収合併が盛んである。政府は「聖域なき構造改革」を推し進めている。「そこにあるのが当然なもの」が、ある日突然姿を消す。これほど先行き不透明な時代はない。

「こんな時代だからこそ、孫の手」

意味がわからない。だがわからなくて一向に差し支えない。とにかく「こんな時代だからこそ」である。混迷をきわめている今こそ、孫の手である。しかし孫の手である必然性はまったくない。

「こんな時代だからこそ、ランバダ」

人は、どんな時代に生きているかについて、しばしば無知である。

(2002.1.15)