「最初の文だよ」と、その人は言うのだった。
いつのことだっただろう。小遣い稼ぎの原稿だろうか、ちょっと長めの文章を書く必要があったときの話だ。参考になりそうな資料にはあらかた目をとおした。これは使えるなと思ったところはカードに写してあるから、いつでも引用できる。テーマも決まった。「よし、書くぞ」。パソコンの電源を入れ、キーボードに指を乗せる。「よーし書いちゃうぞ。どっからでもかかってこい」と、よくわからない情熱に突き動かされて、指がキーボードを連打する。モニターに文字があらわれる。
「ちちちちちちち」
どんなことを書くかはだいたい頭にある。どう書き始めたらいいのか、それがわからない。気がついたときには左手の小指が「ち」のキーボードを叩き続けていた。消去して、指を置きなおす。打つ。
「ははははは」
ゴールの場所は見えているのにスタート地点がわからずうろうろしている 5,000m のランナーのような感じだ。なんてだめなランナーなんだ。「最初の文さえ書ければ、もう書けたも同然だ」と、その人は言う。書き出しだ。書き出しに、すべてがかかっている。中村一男さんの文章に出会ったのは、なにか手本はないかと思って机の上の本をいくつかめくっていたときだった。
「私が反対語に取りつかれたのは、今からちょうど三十七年前だ」
いきなりこうだ。「反対語に取りつかれた」に、なにか不気味なものを感じる。『反対語大辞典』の「まえがき」の言葉だから、「反対語」についていろいろ語るんだろうなという見当はついていたが、「取りつかれた」には驚いた。悪魔や霊ではなく「反対語」である。つづきを読まずにいられない。この時点で、もう勝負はついている。
中村さんは早稲田の文学部志望だったが、「家人が文学部をきらったので」法学部に進んだところ、法律学に反対や矛盾の概念を示す専門用語が多く、「法律用語学習の必要上、反対語に関心を持つようになった」という。もともと文学肌なので言葉に敏感で、「学生のころから、反対語に対して異常の関心を示し、反対語のメモ帳を作ったりしていた」。なにしろ反対語に取りつかれている中村さんだ、その研究意欲はただごとではない。
「闘志も燃えた。反対語で頭がいっぱいになった」
だいじょうぶですかと、声をかけたくなるが、中村さんは突き進む。
「ちょっとの暇に、新聞を読んでいても、家人と話をしていても、その中に反対語を捜した。人が、反対語の鬼だと評した」
もし知人に中村さんがいたらと思うとおそろしい。こんな人と関わるのはごめんだ。ところが、そんな心配はいらない。
「その間、公職の会合にも事情を話して欠席した。家では、だれにも面会謝絶した」
食事時間以外は執筆だ。運動はしない。とうぜん体を壊して、二度病床につく。しかしそこは中村さんである。
「寝ていても、夢は、辞典の原稿を駆け巡った」
中村さんのようにあざやかなスタートを切りたいと、誰もが思う。そしてわたしは、原稿が書けない。
(2003.1.31)