夕空の法則

メメント・モリ

『ダ・ヴィンチ』という月刊雑誌で、しりあがり寿が「メメント・モリ」という漫画を連載している。メメント・モリとは「死を想え」という意味のラテン語で、中世ヨーロッパで盛んだった死の思想である。肉体は腐敗し、滅び、必ず死を迎える。それを覚悟せよという一種の強迫観念である。

しりあがり寿の「メメント・モリ」の主人公は瀕死のエッセイストで、さまざまな場所を訪れては人々に「メメント・モリ!」と叫ぶ。その場所は、ときには群集でごった返す原宿だったり、大音響のダンス・ミュージックに浮かれ騒いで踊るクラブだったりするのだが、そうした場所にいる人々はもちろん「死」のことなど考えてはいない。

現代は「死」を日常から遠ざけている時代だと言われる。大家族が当たり前だった時代では、家族は家の中で死んだ。死は日常生活に溶け込んでいた。核家族化が進み、独居老人が増えた今では、誰にも看取られることなく、病院でひとりひっそりと息絶える人が少なくない。子供たちは、人が死ぬ現場を知らずに育っていく。ペットが死ぬと「電池なくなったの?」と親に訊ねる子供が増えていると聞いたことがある。

だが、本当に現代は「死」を遠ざけているのかと、わたしは考えていたのだった。冷蔵庫の中を眺めていたときのことだ。

「死体だらけ」

冷蔵庫を開けて中を見ると、そこは「死の世界」だった。

「まぐろの死体」

まぐろの切り身がそこにあった。ぴくりとも動かない。死んでいる。まぐろだけではない。

「にわとりの死体」

にわとりの死体の腿の部分がパックに入っていた。死んだばかりらしく、肉にはつやがある。

「イカの死体」

死んだイカの身を切り刻んで、はらわたと混ぜて漬け込んだものがあった。人は「イカの塩辛」と呼んでいるが、要するに死体である。

気分が悪くなってきたので、清涼飲料水でも飲んで気持ちを落ち着けようと思い、近所のスーパーに行った。スーパーはとんでもないことになっていた。

「遺体安置所」

見渡す限り、さまざまな動植物の死体がところせましと並んでいる。豚の死体の隣には牛の死体があった。どれも無残に切り刻まれている。魚売り場の店員が大声で叫んでいる。

「新鮮だよ」

わたしはだまされなかった。「新鮮だよ」という言葉の本当の意味を知ったからだ。

「さっき死んだばかり」

魚売り場は「さっき死んだばかり」の魚の死骸で満ち溢れていた。だが魚はまだいい。目も当てられないのは貝だ。ハマグリがぴくぴく動いていた。今まさに死のうとしている。貝殻を閉じたり開いたりして、もがき苦しんでいる姿に胸が潰れる思いがする。なんとかしてやりたい、助けてやりたいと思ったその刹那、ハマグリは動かなくなった。

「ご臨終」

ひとつの命のともし火が消えた。なのに、店員も客もまったく無関心である。

現代が「死」を遠ざけているなんて、嘘に決まっている。

(2002.4.19)