大人になりたいと思ったのだった。
二十歳を過ぎれば誰でも大人かといえば、そんなことはない。どうみても子供としか思えない四十代の人もいれば、妙に大人っぽい十代もいる。大人は年齢に関係がない。
「子供だな。おまえもまだまだ子供だな」
こんなことは言われたくない。だが人はいつなんどき「子供だな」と言われるかわからない。そのときにどういう態度を示すかが問題である。
「口をとがらせる」
まずい。これはまずい。口をとがらせるのは子供だ。「子供だな」と言われて口をとがらせたのでは、火に油を注ぐようなものだ。案の定、相手は笑っている。こののままでは子供扱いだ。大人であることを証明しなくてはならない。
「走り出す」
ものも言わずに走り出す。子供だ。やっぱり子供である。黙って走り出すのは陸上選手くらいのものだ。
「走り出す書家」
尊厳というものがまるでない。陸上選手でないかぎり、大人は走り出したりしないものである。
「じっとする」
じっとしていてこその大人だ。大人はこうでなくちゃだめだ。子供はじっとしていない。目をはなすと何かしでかすのが子供だ。「子供だな」と言われて、なにかしようとすると、もう大人にはなれない。ここは黙って、じっとしているに限る。だが、もしその人が証券会社の社員だったらどうか。
「じっとしている株屋」
株の値段は刻一刻と変わる。客は、ここぞとばかりに「売って下さい」と言う。だが株屋はじっとしている。客が訝しがって訊ねる。
「どうしました」
株屋が答える。
「大人です。修行中です」
株屋は大人の修行中なのだった。だが客には「ぼやぼやしている」としか見えない。株屋がぼやぼやしているうちに、持ち株は暴落し大損してしまう。客は怒るだろう。
「なにをやっているんだ」
株屋は言うだろう。
「あなたも子供ですね。そうやって急に怒るのは子供です」
呆気にとられた客は、カウンターに乗り出し、株屋の胸倉をつかむ。
「すぐ手を出すのは子供です」
株屋がたしなめる。客がはっとする。子供扱いされてしまったのだ。客は反論するだろう。
「ふざけるな」
だが株屋は動じない。
「口をとがらせるのは子供です」
客は進退窮まってしまう。怒鳴っても、手を出しても、相手は表情ひとつ変えない。おまけに子供呼ばわりだ。どうしていいのかわからない客に株屋は分別顔で言う。
「あなたも少しはじっとしたらどうですか」
株価を示す掲示板の数値は上がったり下がったりを繰り返している。店内は慌しい。だがカウンターの一角で、店員と客が、見つめあい、ただ、じっとしている。
大人になるのは難しい。
(2002.2.24)