エアコンを買い換えた。
10年以上使って、ついにガタがきた。音ばかりうるさくて暖房も冷房も効かない。取り付け工事の人に「耐用年数は7、8年です。よくもった方ですよ」と言われた。
「耐用年数」
家電製品は一定の年月が過ぎると使い物にならなくなる。人間でいえば寿命だ。日本人の平均寿命は男性が77歳、女性が84歳である。そして先ごろ『ネイチャー』誌に驚くべき報告書が載った。2050年には日本人の平均寿命が90歳に達するというのだ。
長寿は「寿」というくらいだから、めでたいことにちがいない。だが人間が増えるとそれだけ地球の環境は損なわれる。動物や植物は自然のサイクルに従って生きているので個体数に変化はない。だが人間だけは自然に手を加え、天然資源を消費し、環境を汚染しながら生きている。ある本によると、地球の資源でまかなえる人口は100億人が限度だという。では、環境破壊をせず、自然のサイクルに従って生きられる人間の数はどれくらいか。
「一千万人」
なんとたったこれだけだという。現在地球の人口は60億人を超えている。すると59億9千万人の人間はどういう人たちか。
「要らない人」
地球にとって、この人たちは、おじゃま虫である。自分が一千万人の部類なのか、それともおじゃま虫なのか。考えるとおそろしい。だが今のペースで人口が増え続けると、早晩人類は100億を超えるだろう。とても地球の資源ではまかなえない。どうすればよいだろう。
「宇宙があるじゃないか」
こういうことを言い出す人がきっと現れる。余った人間を宇宙に送り出す。アメリカやヨーロッパ各国、日本はすでに協力して宇宙ステーションを建設している。とりあえずそこに送り込むだろう。
人間は動物だから、当然生殖行為をして繁殖する。宇宙ステーションでも次々と赤ん坊が産まれるだろう。だが考えてほしい。無重力である。無重力状態で産まれる人類はどんな恰好になるのだろう。
地上では重力があるから人間や動物には骨があり、これで体を支えている。そして体の部位が動くのは脳が命令しているからである。ところが無重力空間には重力がない。つまり骨は必要がないことになる。
「骨がない」
これだけならまだいい。骨がない以上、手足も要らない。するとどうなるか。
「脳がない」
なんということだ。脳がない人間。それは果たして「人間」なのだろうか。
脳がない生物といえば植物である。宇宙ステーションの子供たちは植物だ。もし子供の親が日本人であれば、親は植物をどうするか。
「生け花」
子供たちが次々と花瓶に生けられる。そして飾られる。流派もできるだろう。
「草月流」
師範理事が言う。
「そこのところを、ちょっと曲げなさい」
「そこのところ」というのが怖い。なにしろ手足も頭もない肉の塊である。どこをどうしろというのか。
こうして人類は滅んでいく。だがこれこそ究極の「地球にやさしい」ではなかろうか。
(2001.12.25)