辞書を引くたびに気になるのが「例文の人」である。
日ごろ『ランダムハウス英和辞典』を愛用している。CD-ROM版をパソコンに入れてあるので、ワープロで原稿を書いたり、インターネットの英字新聞を読むときに、いちいち本棚から辞書を引っ張り出す手間がかかならいのがいい。
先日も『ランダムハウス英和辞典』で単語を調べていた。探していた単語はすぐに見つかり語義もわかったので一件落着なのだが、悪い癖があり、つい関係のない言葉を探してその項目を読んでしまう。その日もどういうわけか God の項目を読んでいた。そしてある熟語に出くわした。
please God 《文頭に置いて》 神様お願いです。
例文がある。
Please God we won't wake up in the morning with another dead man.
神様、朝目覚めてまた別の死人が出ていませんように」
この「例文の人」はいったい何者だ。朝目を覚ますたびに死人が出ている。どこに住んでいるのか。
「暗黒街」
これしか考えられない。街はギャングたちが抗争に明け暮れている。昼日中から銃声が轟き、市民が犠牲になる。こんな街では生きた心地がするわけがない。神に祈っている場合か。「例文の人」に言いたい。
「引っ越したらどうだ」
だが「例文の人」は「例文の人」なだけに、自分の都合で引っ越すわけにはいかないらしく、今日もびくびくしながら暗黒街で神に祈っている。
「例文の人」は哀れだ。暗黒街に住んでいるだけならまだいいが、「例文の人」の目の前には「落ち着かない人」がいるから気の毒である。嘘だと思ったら、man を引いてほしい。
Now, now, my good man, please calm down.
まあまあ、君、どうか落ち着いてくれたまえ。
落ち着いていない。「君」はまったく落ち着いていない。手足をぶらぶらさせて、辺りをきょろきょろ見渡し、なぜかへらへら笑っている。これほど落ち着かない人間がいるだろうか。落ち着かない人はいやだ。勘弁してほしい。「どうか落ち着いてくれたまえ」と言いたくもなるというものである。
だが「例文の人」の不幸はこれだけではない。
If it was raining pea soup, I'd only have a fork.
《豪》 豆スープの雨が降っても、私はフォークしか持っていないだろう。
空から豆のスープが降ってくる。天の恵みだ。だが「例文の人」の手にはフォークしかない。分からないのは「例文の人」がどこにいるかである。屋外にいるとして、なぜフォークを持っているのか。家にいるのなら、どうしてフォークしかないのか。ボールはないのか。あるいは皿だ。皿くらいありそうなもんじゃないか。だがないのである。なぜなら、その人は「例文の人」だからだ。
(2002.4.9)