看板が気になる。
街を歩くといたるところに看板がある。商店の案内や広告のたぐいはさほど気にならない。どうも引っかかるのは、やけに命令口調の看板である。
「入るな」
植えたばかりの芝生だ。子供は思わず入って走り回りたくなるだろう。それを禁止したい気持ちは分かる。だが、「入るな」と言われるとつい入りたくなるのが人情である。「いい子だからね、入っちゃだめだよ」。母親が言う。ちょっと目を離す。途端に子供は駆け出す。禁止されることはどうしてもやりたくなる。誰だってそうだ。これでは芝生は荒れ放題である。
入るな、と言われれば、入る。ならば、こう変えてはどうか。
「入れ」
なんだか怖い。思わず後ずさりしてしまう。雲つくような大男が仁王立ちしている。口髭を撫でながら、般若のような強面で命令している感じだ。こんなところに入ったら生きて出られる保証はない。誰もが尻ごみするだろう。
「立ち入り禁止」
ビルの建築現場である。「禁止」などと書くから、立ち入る者が後を絶たないのだ。ここはやはり肯定命令にするべきである。
「立ち入り歓迎」
ダンプが行き交う。クレーン車が瓦礫を運ぶ。鉄骨が頭上から降りてくる。ミキサー車が轟音をとどろかす。うずたかく積まれたコンクリートの塊は今にも崩れ落ちそうである。こんなところに歓迎されてはたまったものではない。誰もが一目散に逃げるにちがいない。
「近づくな」
道路工事だ。これでは近づく。近づくに決まっている。
「近づけ」
恐ろしい。なんて恐ろしい命令だ。近づかないとただではおかないぞと言わんばかりだ。これではとうてい近づく気にはなれない。
「土足厳禁」
寺である。国宝に指定された寺だ。厳禁された修学旅行生たちは「厳禁だってよ」と、靴を履いたまま傍若無人にふるまう。寺は泥だらけだ。
「絶対土足」
なんだこれは。修学旅行生たちの騒ぎがおさまる。「絶対土足」。土足でなければならない。だが土足で上がれば寺はもちろん汚れる。これはなにかの罠ではないか。罠だ。こんな命令に唯々諾々と従っては、あとでどんな目に遭うか分からない。修学旅行生たちは思わず靴を脱ぐ。
「児童に注意」
近くに幼稚園がある。運転には気をつけろということだ。だがこんな看板に人が素直に従うと思ったら大間違いである。実際、児童の交通事故は一向に減らないではないか。これもただちに改められるべきである。
「児童におかまいなく」
幼稚園児が雀のように列をなして道を歩いている。そこへ「おかまいなく」ときた。おかまいなしに車を突っ込めば大変なことになる。運転手はいやがうえにも慎重にならざるをえない。
「触るな」
高圧電線だ。触るなと言われれば、もちろん人は触る。
「触れ」
触れと言われて人がすんなり触るかと言えば、そんなことは断じてない。手を引っ込める。うっかり触ったりしたらどんなことになるか。これで高圧電線も安全だ。だがなんでも肯定命令にすればいいというものでもない。
「食え」
こんな看板はごめんである。
(2001.10.26)