文化というものがある。文化とは何か。『大辞林』によると、「社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体」だという。
日本人は人と会うとお辞儀をする。文化である。アメリカでは銃の売買が自由である。文化である。スペイン人は、友達に会うと、性別を問わず、互いの頬に二回キスをする。これも文化だ。
社会と呼ばれる世界には必ず文化が存在する。
インターネットを始めて間もなく、私は友人からメールを受け取った。高校時代の同級生の女の子である。内容は近況報告なのだが、私は、ある文を読んで困ってしまった。
「今度飲みに行こうね(^。^)」
一緒に飲みましょうというお誘いだ。それはいい。問題は「(^。^)」だ。なんだこれは。一瞬戸惑ったが、しばらく眺めているうちに、どうやらこれは人の顔らしいと分かった。笑顔である。記号を組み合わせて笑顔を作ったのだ。「今度飲みに行こうね」だけで充分だが、「(^。^)」がつくことによって、書いた人の心の様子が伝わってくる。嬉しいのだ。一緒に飲めたら嬉しいな。そういう気持ちが込められている。
その後、いろいろな人から届くメールに、さまざまな記号があることを発見した。そしてこういう記号を人は「顔文字」と呼んでいることも知った。
「つらいんです(T_T)」
涙を流している。
「おめでとう\(^o^)/」
バンザイだ。嬉しいではないか。
「ごめんなさいm(__)m」
ぺこりと土下座している。赦してあげるよ。
「あれは見たくなかったよ (>_<)」
目をかたく閉じて歯を食いしばっている。
私は考えた。
これは日本語の表記における革命ではないだろうか。インターネットが普及する前は、誰もこんな記号は使わなかった。せいぜい「!」か「?」である。だがネットの世界は顔文字で溢れている。
「これは使える」
私は確信した。名作と言われる文学作品に顔文字があれば、作者の気持ちがよりいっそう分かりやすく伝わるに違いない。
夏目漱石の『吾輩は猫である』で試してみた。
「吾輩は猫である (^。^)。名前はまだ無い (T_T)。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ (-_-;)。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している (+_+)」
私は興奮した。
旧作が生まれ変わり、新しい文学が誕生したのだ。私はさっそく次の作品にとりかかった。宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』だ。
「ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした (^◇^)。けれどもあんまり上手でないという評判でした (;_;)。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした (>_<)」
わくわくしてくるではないか。よし。太宰治だ。太宰を甦らせよう。『人間失格』だ。太宰は「暗い作家」として有名だ。ならば明るくしようではないか。
「恥の多い生涯を送って来ました(^◇^)。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです\(^o^)/。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした§^。^§」
新しい文学の誕生である。
(2001.10.16)