夕空の法則

呆気にとられる

呆気にとられたとき、人はどうしたらいいのだろうか。

人はしばしば呆気にとられる。意外な出来事に出会って驚き呆れる。あんまり意外なので、どうしてよいかわからなくなる。

「わからなくなっている状態」

わからなくなっている状態はいやだ。なんとかしなくてはいけない。どうすればいいのか。

そもそもどんな場合に人は呆気にとられるのだろう。

「椅子に座ろうとして腰を下ろしたら椅子がなくて尻餅をつく」

あるはずの椅子がない。どこにいったのか。謎だ。こういう場合の心の状態はどうか。

「呆気にとられる」

当然である。

「お茶だと思って飲んだら醤油だった」

おまえの目は節穴か。お茶と醤油の区別もつかないとは驚きである。本人よりも、わたしたちの方が呆気にとられてしまう。「わからなくなっている状態」だ。この状態をただちに改善しなくてはいけない。忠告しよう。

「それ醤油だぞ」

これで相手が素直に納得してくれると思ったら大間違いである。お茶と醤油を間違えることほど恥ずかしいことがあろうか。それを指摘されれば相手はおそらくむっとするだろう。強がりを言うにちがいない。

「醤油を飲みたかったんだよ。悪いか」

まったく始末におえない。「わからなくなっている状態」の改善はなかなかどうして難しい。

わたしがこれまでの生涯でいちばん呆気にとられたのは、スペインを旅していたときの出来事である。

南部アンダルシア地方の、とある町に鉄道で行った。駅を出てガイドブックを広げ、安いホテルを探していたところ、ウェストポーチをつけた明らかに日本人とわかる青年が近づいてきて、いきなり話しかけてきた。

「インドネシアの方ですか」

いえ日本人ですと答えたら、ああよかった、なんだか風貌がインドネシアの人に見えたものですからつい勘違いしてしまいましたと言った。立ち話をして、お互いに宿を探していることがわかり、結局一緒に安宿に泊まった。

宿に着いてから落ちついて考えた。青年の言葉が奇妙であることに気がついた。

「インドネシアの方ですか」

これはどう考えてもおかしい。

「インドネシア人と思われる人に対して日本語で『インドネシアの方ですか』と訊ねる」

わたしは呆気にとられた。相手がインドネシア人なら、インドネシア語で質問するのが筋じゃないか。わたしは「わからなくなっている状態」になった。どう答えるべきだったのだろう。

「『日本人です』とインドネシア語で答える」

だがわたしはインドネシア語を知らない。途方に暮れた。

宿に泊まった翌日、目を覚ますと、青年の姿はなく、サイドテーブルに置手紙があった。

「お先に失礼します。自分のホテル代は払っておきました。お元気で」

またしても呆気にとられた。財布でも盗まれたのではないかと思い、貴重品を調べた。なにも盗られてはいなかった。

「わからなくなっている状態」にはお手上げである。

(2002.2.4)