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本当のこと

どうしてスペイン語を勉強しようと思ったのですかと、よく人に訊ねられる。そのたびに返答に困る。外国語を勉強したいという気持ちはたしかにあったが、ひとくちに外国語といっても、いったい世界にどのくらいの言語があるのか、高校を卒業したばかりのわたしにわかるはずもなく、なんとなくスペイン語を選んだ。

「なんとなく」

人生では何度か選択を迫られる。それは就職だったり、結婚だったりするが、もっと小さなレベルで、日々の暮らしのなかでも、人は絶えず何かを選択している。しているというより、せざるをえない。朝だ。寝床から起きる。問題はすぐさまやってくる。起きて、何をするか。トイレに行ってもいいし読みかけの雑誌のつづきを読んでもいい。携帯電話で友人と話したっていい。そのまえにパジャマを脱いで服を着るのもよさそうだ。いきなり逆立ちしたってかまわない。かといって阿波踊りを踊るのはどうかと思うが、踊ってはいけないということはない。ちょっと思いつくだけでこれだけある。可能なかぎりの選択肢を挙げれば、それは天文学的数字になるだろう。ところが人は、涼しい顔をして、こともなげに顔を洗ったりする。途方もない数の選択肢だ。「顔を洗うこと」を選んだ根拠はなんですかともし訊かれたら、その人は「さっぱりするから」「習慣で」とか答えるかもしれないが、寝ぼけまなこですることだ、「なんとなく」洗っているのではないか。

だからわたしも、「なんとなく選びました」ときっぱり答えたいのだが、どういうわけか世間では「なんとなく」は答えとして「だめ」いうことになっている。だからといって「メキシコ大統領になるのが夢です」では嘘になるし、「道を歩いていたんです、そしたらね、聞こえたんですよ、なんか、ほら、声がね、スペイン語だぞって、だから」では、怪しい人と思われるに決まっている。そこでしかたなく、母語話者の人口が世界の3位か4位であること、英語とスペイン語を学べば世界のかなりの部分で通用すること、日本人にとっては発音がわかりやすく、とくに母音はそっくりであることなど、つまり、相手がのぞんでいるであろう動機を話す。すると相手は「そうなんですかあ」とほっとした表情になる。

本当のことは信じてもらえない。

先日届いた葉書を読んで、わたしは「やっぱりそうか」と唸った。差出人は東京の北区に住んでいて、仕事で毎日目白に通っている。葉書にはこうあった。

近頃自転車で目白まで通っております。と他人に言うと、良い健康法ですねと言われます。純粋に経済的理由からと言っても『またまた』などと信用されません。人間は皆本当のことを言わぬものと思っているらしい。

大した距離ではなさそうにみえるが、自宅は北区の東端で、目白の仕事場は練馬区に近い。たいていの人はバスと電車を乗り継いで行く距離だ。駅からもかなり歩かなければならない。この人は自転車で行く。そして帰る。それ以外に方法がないからだ。

本当のことは信じてもらえない。

(2003.1.22)

夕空の法則