所用があり、久しぶりに故郷の北海道へ行った。三月の北海道はまだ雪が残っているものだが、暖冬なのか、千歳空港から札幌まで、鉄道沿線には雪がまったくない。二十年前なら考えられない光景だ。
用事が済み、あくる朝飛行機で名古屋に戻った。空港から我が家へは高速バスを利用する。用事というのが通夜だったので、少々疲れを覚え、バスの座席に深々と腰かけ、椅子をリクライニングにしてなんとはなしに前方を見ると、フロントガラスの左の上の方に張り紙があるのが目にとまった。
「注意書き」
読んでみた。
「運転中にみだりに運転手に話しかけないこと」
わざわざこうして注意しておかないと、運転手に話しかける人が後を立たないのだろう。バスが発車する。とたんに乗客が運転手のもとに駆け寄り、みだりに話しかける。
「みだりに○○するな」というたぐいの注意書きはよく目にするが、そもそも「みだりに」とはどういう状況をさすのか。『大辞林』には二つの語義がある。
「分別なく行うさま」
「正当な理由や資格もなく行うさま」
分別もなく、正当な理由も資格もなく、運転手に話しかける。それはたとえばこんな具合ではないか。
「耳元で念仏を唱える」
運転手はたまったものではない。なにしろ客が耳元で念仏を唱え続けるのだ。いったい何が目的で念仏を唱えるのか。分別をわきまえていないと言われて当然だろう。だがいるのだ。念仏を唱える人がいるのだ。だからこその注意書きである。しかし念仏ならまだましな方かもしれない。このバスは名古屋を走っている。乗客の大半は名古屋の人だ。当然名古屋弁である。
「このズボン、ウエストがきもいではけんわ」
ウエストがきつくて履けないらしい。だからって、そんなことをいちいち運転手に訴えてどうする。分別がない。まったく分別というものがない。だが人は注意されないと、つい、みだりに運転手に話しかけるものとみなされているのだった。
「このえびふりゃーどえりゃーうみゃーでかんわ」
きっとうまいエビフライなのだろう。だからどうしたというのだ。
「米かして」
名古屋弁で「米をといで」という意味である。運転手に向かって「米をとげ」とはなにごとか。正当な理由がない。
注意書きにはもうひとつ項目があった。
「物品をみだりに窓から投げないこと」
いるのだ。注意されない限り、みだりに窓から物を投げる人がいる。ハンドバッグを投げ、帽子を投げ、デパートの紙袋を投げ、財布を投げ、身につけているものをかたっぱしから窓の外に放り投げる。あきれ果てた運転手が言うだろう。
「物を投げないでください」
客が答える。
「おいといてちょーせ」
気を遣わないで下さいという意味の名古屋弁である。
注意されないと、人はなにをしでかすかわからない。
(2002.3.27)