夕空の法則

あれはあれだよ

マイヤ・プリセツカヤが宝塚の振付をしたというニュースを新聞で読んで思い出したのは、ある男のことだ。

十年以上前、プリセツカヤはスペイン国立バレエ団の芸術監督をしていたことがある。来日公演が東京と大阪であり、そのころ学生だったわたしはスペイン語の通訳のアルバイトをした。

巡業中、プリセツカヤとバレエ団の代表、日本の招聘団体の三者による会議がたびたび開かれた。突然のテレビ取材の申し込みへの対応、翌日の公演スケジュールの確認、成田空港での舞台装置の申請方法など、解決しなければいけない問題は次々に出てくる。団員は60人を超えており、腹を下す者、風をひく者、発熱する者が後を絶たない。薬局に走ろうとすると、「わたしの名前、漢字で書いて」と、どうでもいいことをねだる者がいたりして、わたしは「神がいるなら今すぐ助けてくれたらどうだ」と、天を呪っていた。

そんなさなかに男はやって来た。そしてこう言った。

「あれどうなった」

なんのことかわからず、訊ね返した。

「あれといいますと」
 「あれだよあれ」

わからない。

「『あれ』ではわからないんですが」
 「あれはあれに決まってるだろ!」

顔を真っ赤にして男は怒鳴った。

男は招聘団体の文化担当部長で、三者会議の日本代表である。アルバイトであるわたしを雇ってくれた雇い主なので、彼の立場に立って通訳するようわたしは事前に言い含められていたのだが、この男の話はいつも脈絡がなく、悲しくなるほど要領を得なかった。

「あれはあれに決まってるだろ」には、学生のわたしもさすがに頭にきて、お金は要りませんから今すぐ帰らせて下さいと、招聘団体の別の人に頼んだのだが、「あの人ね、いつもああなの。あなたのせいじゃないから、もうちょっと我慢して、ね」と、体よく丸め込まれてしまった。

男は「あれ」で何かを指し示していたのだろうが、何を指していたのか。他人には謎でしかないが、もし「あれな人」が「あれ」ではなく仕草で何かを伝えようとしていたならどうか。

「片腕を体の前に水平に伸ばし、人差し指をつきだす」

人差し指の前に自分がいるとする。目の前に人差し指である。自分をさしているんだなと子供だって思う。だが男は「駅の方角」を示しているのだ。

「その指を鼻に」

何を隠そうこのわたしです、と言いたいときにする、おなじみの仕草だが、それじゃあ「何を隠そう、駅はわたしです」っていうことになってしまい、何が何だかわからない。しかし男は「鼻の場所」を示したかっただけなのだから、「あれな人」の唐突さにはほとほと困る。

「あいつはあれだからな」
 「あれって」
 「だってあれだろ、あいつ」
 「ああ、あいつはな、あれだからな」

本当にいやだよ。

(2003.7.4)