夕空の法則

男と女

郵便局に行ったら、年度末のせいかとても混雑していて、整理券をもらって順番を待たされた。椅子に座って待っていると、隣の中年女性二人が大声で雑談に興じていた。他人のおしゃべりなんか聞きたくないが、なにしろ大声だからいやでも耳に入ってくる。なにを話しているのかと思えば、「郵便局が混んでいる」「今度の俳句会は火曜日」「桜の開花が早い」と、まるで脈絡がない。

帰宅してラジオをつけたら、女性のパーソナリティーが、男と女はどうして分かり合えないかという話をしていた。男と女では脳の機能が違うという。男は主に左脳だけを使っているのに対し、女は左脳と右脳を同時に使うのだそうだ。したがって、男はひとつのことにしか集中できず、女は同時に複数のことができるらしい。そして、男は結論を出すために話すが、女はおしゃべりそのものが目的であり、しゃべることでストレスを発散しているとパーソナリティーは説明していた。

言われてみれば思い当たる節がある。女性の友人に囲まれて歓談していると、女性たちは脈絡もなくえんえんと話を続けるのだった。わたしは立ち入る隙がない。次第にいらいらして、つい口をつぐんでじっと話を聞くはめになる。女性たちはそんなことはお構いなしでおしゃべりに夢中である。議論をすることでひとつの結論を導き出すということには興味がないらしい。わたしはといえば、結論を出さないおしゃべりは苦手である。ここには男と女の悲劇がある。

コミュニケーションはしばしば言葉のキャッチボールにたとえられる。男は言葉のキャッチボールをしながら結論を導き出す。女は相手などお構いなしに自分の好きな話をする。

「言葉の砲丸投げ」

投げっぱなしである。

だからといって女が議論下手なのをなじるつもりはない。女は複数のことを同時にできるという才能があるのだ。

「化粧をしながら携帯電話」

男は電話で話すときには電話に集中する。ひとつのことしかできないからだ。だが女は違う。赤ん坊をあやしながら掃除するのはお手の物だし、洗濯しながらマカレナを踊るのも朝飯前だろう。だが今時マカレナはどうなんだ。いいのか。いいのだ。いいに決まっている。同時に行えるというだけで素晴らしいじゃないか。そんな女に男は憧れる。

男が女に憧れるのは、生物学的根拠があるらしい。受精卵の段階で人間はみな女なのだ。それがいつしか、ある種の受精卵は男に変わる。

「最初はみんな女」

男は、所詮、女が変異したものなのだった。女の出来損ないである。男と喧嘩した女は、男にガツンと言えばいい。

「出来損ないのくせに」

男は返す言葉がない。黙っている。なにしろひとつのことしかできないのが男なのだった。出来損ない呼ばわりされた男は何をしているか。

「呼吸することで精一杯」

呼吸することで精一杯の出来損ない。悲劇には救いがない。

(2002.3.29)