夕空の法則

ドア

玄関のチャイムが鳴ったのでドアを開けてみると新聞の集金だった。いつもの若い女性だ。ところが目と目があったとたん、女性はぎょっとして後ずさりした。なにごとかと思い、女性の挙手を眺めていると、女性は後ずさりしながら、じっとわたしの右肩を見つめている。そのとき初めて、わたしは肩にセキセイインコがとまっているのを思い出した。

我が家のインコは朝から晩までわたしの体から離れない。その日もインコに肩や背中を散歩させながら、わたしはパソコンで原稿を書いていたのだった。集金係の女性は「それ、ふつうのインコですか」と訊ねた。ふつうですよ、ただ四六時中わたしの体にとまったままなんですと答えたら、ようやく安心したらしく、集金を済ませて去った。

「ドアを開けたら男の肩に不思議な生き物がいる」

ぎょっとする人がいてもおかしくはない。不思議な生き物がインコだとわかって女性は安堵したのだった。肩に乗せていたのがインコでよかったとつくづく思う。タコだったらどう弁解したらいいのかわからない。象だったらもっと厄介だ。だが象を肩に乗せるのは至難の業である。かりに成功したとしても、それは「肩に乗せている」のではなく「踏み潰されている」に決まっているのだ。

女性がぎょっとした理由を考えてみた。ドアを開けたら、予想だにしない光景が目の前に現れたのだ。ドアだ。問題はドアである。ドアの向こうには、どんな世界が待ち受けているかわからない。

「ドアの恐怖」

ドアは怖い。ドアの怖さを熟知していたのはヒッチコックである。ヒッチコックの映画では、ドアは恐怖へ誘う装置として働いている。有名なのは『鳥』だ。ドアを開けると、あたり一面鳥だらけである。そんな家に新聞の集金に出かけたらたまったものではない。

わたしもぎょっとしたことがある。

大学院で勉強していたときのことだ。年末で、修士論文の〆切が迫っていた。朝から晩まで家に閉じこもって論文執筆に明け暮れていた。たまたまその日はクリスマスイブだった。気がついたときには日はとっぷりと暮れ、そろそろ夕食の時間だ。だが冷蔵庫は空っぽで、なにも食べるものがない。しかたなく、宅配ピザの出前をとった。小一時間ほどしてピザ屋が来たので玄関のドアを開けたら目の前にサンタクロースがいた。

ぎょっとした。

よく見ると、年はわたしと同じくらいの痩せ型の青年である。青年はなぜかわたしの顔を見ず、なんだか照れくさそうにもじもじしている。だが照れくさいのは彼だけではなかった。わたしも、恥ずかしくてたまらなかった。なにしろ相手はサンタクロースである。しかも同年輩の青年だ。

「ドアを開けたらサンタクロース」

だが季節はクリスマスだ。サンタクロースが現れたって不思議ではないのである。ただし違う人物だったら話は別だ。

「ドアを開けたらローマ法王」

ローマ法王といえばバチカン市国であり、バチカン市国はイタリアにある。ピザの本場だ。ローマ法王が配達するピザはおいしいに違いない。だがどう挨拶したらいいのかわからない。

(2002.3.25)