夕空の法則

天才

大学時代の先輩が運営しているホームページで、わたしのことを「天才」と紹介して下さっていることを知った。

びっくりした。なにしろ「天才」である。

わたしは、どこにでもいるただの大学講師にすぎない。自分を天才だなどと思ったことは一度もないし、人に天才と呼ばれたのも初めてだ。どうやらこの「夕空の法則」を読んでわたしを「天才」だと認めて下さったらしい。恐悦至極だが、単に「恐悦至極」などと言っただけでは済まされないものがある。

「この人はまちがいなく天才だ」と思える人物に何人か出会ったことがある。それは高校時代の友人だったり、大学時代の先輩だったり、知人の舞台演出家だったり、あるいは大学の恩師であったりする。

「天才とはなにか」

まちがいなく天才だと思える人に出会いながら、わたしはこれまで一度も「天才とはなにか」を真剣に考えたことがない。そもそも「天才」とはなんだろう。

こういうときは賢人の教えを乞うに限る。

芥川龍之介は言う。

「天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである」

なんのことやらさっぱりわからない。「一歩を隔てたもの」の「一歩」の正体が知りたいのだ。芥川はだめだ。ほかの人にしよう。石川啄木はどうか。

「天才は孤独を好む」

なんの説明にもなっていない。孤独を好む人は誰でも天才だと言うのか。それでは引きこもりの人はみな天才ということになる。そんな馬鹿な話があるものか。

啄木もだめだ。こうなったら夏目漱石だ。漱石なら含蓄のある定義を下してくれるにちがいない。

「天才と云うものは、目的も努力もなく、終日ぶらぶらぶら付いて居なくっては駄目だ」

なにを言っているんだ。「終日ぶらついていなくては駄目だ」ってことはないじゃないか。「終日ぶらついている人」なら世の中に五万といる。これではフリーターも天才ということになるじゃないか。ホームレスなら大天才だ。そんな馬鹿な。

日本の文豪はどいつもこいつもだめだ。しかたがない。西欧に助けを求めよう。ゴーリキーはどうだろう。

「天才ってのは自分を信ずることなんだ」

ちょっと待て。自分を信じる者がみな天才なら、世界は天才だらけである。冗談も休み休み言え。

日本も西欧も、文豪は頼りにならない。哲学者の出番だ。哲学者なら大丈夫だろう。ヘーゲルだ。ヘーゲルに教えを乞おう。

「天才を知る者は天才である」

ヘーゲルよ。おまえはいったいなにを言いたいんだ。これでは「リンゴはリンゴである」と言っているようなものである。まったく哲学者の言うことはわけがわからない。いったい誰に聞けば「天才」の定義がわかるのだろう。

「科学者がいるじゃないか」

そうだよ。科学者だ。天才科学者といえば発明王エジソンがいる。最後の望みの綱だ。

「天才は1%のインスピレーションと99%の発汗である」

汗か。汗なのか。天才は汗をかく人らしい。

「汗っかき」

汗っかきの人のイメージといえば「太った人」だ。

「森公美子」

天才は意外なところにひそんでいるのかも知れない。

(2002.1.31)