わけあって、明治や大正時代の文献をまとめて読んでいる。当然今と違って、旧漢字旧仮名遣いである。たとえば「いじいじしている」は「いぢヽヽしてゐる」となる。神経は「神經」、児童は「兒童」、身体は「身體」というぐあいだ。
坪内逍遥が明治31年に書いた文章がある。
「文學、美術が情育の一助たるは今更に辯を要せざるなり。演劇類似の遊戲は明かに此の用に叶ふべきもの、適當の注意を加へて利用するときは害絶えて無くして裨益意外に多かるべきは、吾人も信じて疑はざるところなり。されど事の順序より言へば、まづ文學的作物の審美的批判を以て其の端を發(ひら)かざるべからず。例へば、作中に現るゝ人物の性格を剖析する事、該人物の情操に同感同化する事、其の同感を有形にして表現する事(即ち表情術)、此等の修煉を先にする必要あり。此の素養を經ざる演劇は單に拙劣なる醜戲たるにとゞまるか、さなくば賤しむべき一種の摸倣戲たるに終るべし」
「この」は「此の」、「その」は「其の」、「これら」は「此等」だ。現代人ならひらがなで書くところだが、明治の人は漢字だ。
明治の人は外来語を漢字表記にした。アメリカは亜米利加、イギリスは英吉利である。パリは巴里、ロンドンは倫敦だ。ではマドリードはどうか。
「馬徳里」
マドリードの人は「マドリード」の最後の「ド」を発音せず、「マドリー」と言う。「馬徳里」にはその感じが出ているから見事である。
見れば読めるが書けと言われると書けない、そんな漢字がある。
「メートル」
これは誰でも分かるだろう。「米」である。現在でも「一平米」などと書く。ではセンチメートルはどうだろう。
「糎」
「厘」は百分の一という意味である。野球の打率で、3割5分1厘などというのを聞いたことがあるだろう。センチメートルは「米」の百分の一だから「糎」。理屈にかなっている。ならばミリメートルはどうか。
「粍」
これも野球に詳しい人ならピンとくるはずだ。打率.3516の人は「3割5分1厘6毛」だ。「毛」は「厘」の十分の一である。「米」プラス「毛」で粍。じつに分かりやすい。
だが安心していてはいけない。
「グラム」
これを漢字で書ける人はいるだろうか。
「瓦」
私は知らなかった。だが「米」の法則に従えば、センチグラムとミリグラムは分かる。「甅」と「瓱」である。ではデカグラム、すなわち10グラムはどうか。
「瓧」
「十」を書き足している。そのまんまだ。ということは100グラムは想像がつく。
「瓸」
やはりそうか。そうきたか。1000グラム、つまり一キロは「瓩」だ。お茶の子さいさいである。ところが明治の人が言う。
「トンが書けるか」
困った。一トン。書けない。明治の人が口髭をなでながら言う。
「瓲じゃ。瓲と書くのじゃ」
「屯」か。これではただの語呂合わせじゃないか。すると明治の人は機嫌を損ねたのか、矢継ぎ早に質問攻めにする。
「マイルはどうじゃ」
マイル。書けない。
「哩じゃ。哩と書くのじゃ」
シャレではないが、まいった。まいりました。もう勘弁してください。だが明治の人は勘弁してくれない。
「フィートとインチとヤードは書けるか」
そんなものはカタカナでいいじゃないか。だが明治の人は漢字だ。
「フィートは呎じゃ。インチは吋じゃ。そしてヤードは碼じゃ。しっかりしろ」
しっかりしたいものである。
(2001.11.18)