ある会社と至急連絡をとる必要があり、電話帳を調べていた。「す」で始まる業種だったので、タウンページの「す」のページをぱらばらとめくる。この辺かなと見当をつけて、ぱっとページを開いた。そこは「スナック」のページだった。スナックになんか用事はない。だいいちスナックと呼ばれる所には行ったこともないし、スナックに勤める知人もいない。私の人生でいちばん無縁な職業とさえ言える。さっさと会社の番号を探そう。だが私の目は開かれたページに釘付けになっていた。
店名である。タウンページだから、店の名前ばかりがだらだらと列挙されている。それはかまわない。問題は店の名前だ。いきなり目に飛び込んできたのは、こんな名前だった。
「アダムのへそ」
目を疑った。なんだこれは。へそである。それも、アダムのへそだ。私は何がなんだか分からなくなった。すると追い討ちをかけるように、次の名前が目にとまった。
「あんたの店」
いきなりこうである。あんた呼ばわりされてしまった。繰り返すが、私はスナックには一度も行ったことがない。それなのに「あんた」である。ここに電話したらどうなるのか。「はい、あんたの店です」。いやだ。そんな店はいやだ。
改めてページをじっくりと読んでみると、ただならない事態が起きていることが分かった。「ありすとてれす」。なぜひらがななんだ。「おたまじゃくしと蛙たち」とは一体何だ。「ぎりぎり玉子」。こうなるともうわけが分からない。
今、スナックは大変なことになっているようである。私は心配になってきた。「ではパブはどうなっているのか」。
すかさずパブのページを見た。
「インディアンの娘」
恐れていたとおりだ。パブも大変な騒ぎになっているのだ。なにしろインディアンの娘である。何をされるか、おちおち酒も飲んでいられない。ある街には「海坊主」というパブがある。海坊主たちがぐてんぐてんに酔っ払っている。気持ちが悪い。生臭い匂いさえ漂っていそうだ。
ここで私はひとつの発見をした。カタカナ言葉を無理やり漢字にしている例が多いのだ。「佳那里也」はカナリヤ、「蘇琲亜」はソフィア、「茶居夢」はチャイムである。どうやら、ある種のパブ経営者には「無理やり漢字にする」という美学があるらしい。何が彼らをしてそれほどの無理をさせるのか、凡人には思い及ばない。
途方に暮れていると、とどめの一撃とばかりに、こんな店を見つけた。
「パブ玉ンない」
いい加減にしてくれといいたい。パブには迂闊に近寄るわけにはいかない。何をされるか知れたものではない。私は、パブには絶対行かないぞと心に誓った。万が一行く羽目になっても「ザ・小次郎」だけはごめんである。
(2001.9.26)