夕空の法則

名付け親

日ごろ見慣れているのに、その呼び名がわからない物が結構ある。

尾篭な話で恐縮だが、昔トイレが詰まったことがあった。詰まった汚物やトイレットペーパーを流さなくてはならない。だが、肝心の「あれ」がなかった。「あれ」とはもちろん、「カポカポさせるやつ」である。近くのスーパーに出かけてトイレ用品の売り場を探し回ったが、「カポカポさせるやつ」は見当たらない。店員に訊ねてみた。

「あの、トイレが詰まったんですが、詰まったものを流す、ゴムでできた、あれ、何ていうんでしょうか、カポカポさせるやつです」

我ながら情けなかった。まるで子供の遣いである。だが店員は即座に納得してくれた。

「ああ、あれですね。こちらです」

商品は無事見つかった。レジで支払いを済ませながら、店員に訊いてみた。

「これ、何て言うんですか」

店員は若い女性で、「さあ」と首をかしげ、それだけでは申し訳ないと思ったのか、周りの店員たちに訊ねてくれた。するとベテランらしき年配の女性店員が勝ち誇った顔で言った。

「あ、それ?通水カップ」

言われてみればなるほどそうかと思うが、言われるまでは見当もつかないから、物の名前の世界は底知れない。

物の名前についてわたしは無知だが、ひとつだけ、あまり知られていないであろう物の名前をわたしは知っている。

「パンのビニール袋の上を留める四角いプラスチック」

見たことがない人はいないだろう。ほぼ毎日目にしているはずだ。この名前をご存知だろうか。

「クロージャー」

ひょんなことから呼び名を知ったのだが、知っていて得をしたことがあるかと言えば、一度もない。会話で「クロージャー」という言葉を使ったことがないのである。いつか使ってみたい。「最近のクロージャーはダメだね」とか「クロージャーは山崎に限るな」「いよいよクロージャーの季節になりました」などと言ってみたいものである。だがそんな機会にはついぞ恵まれたことがない。

「あれの呼び方知ってる?」という話をするとき、人が真っ先に言及するものがある。

「壊れ物を包むプチプチのシート」

誰もが思わずプチプチ潰す、あのシート。そして得意げにその呼称を口にする人が必ずいる。

「エアキャップだよ」

わたしもずっとそう思っていた。ところが先日、それは誤解であることを知った。エアキャップは登録商標だというのである。では正式名称は何と言うのか。

「気泡緩衝シート」

まいった。またしても「言われてみればなるほど」である。だが「気泡緩衝シート」から「プチプチ」は想像できるが、「プチプチ」から「気泡緩衝シート」はまるで思いつかない。

名付け親だ。者には名付け親がいる。

「牛乳瓶の紙蓋をとるピン」

名付け親が言う。

「安全キリだ」

では「リンゴを包む発泡スチロールの網」はどうか。

「ハカマだ。ハカマと言うのだ」

ならば「自転車の車輪の軸につけるカラフルな輪」に名前はあるのか。

「あたりまえだ。ハブ毛だ」

講演会などで見かける、「水差しの瓶の口にコップが逆さまにかぶさっているセット」。あるんだろうな。呼び名が、あるんだろうな。

「そんなことも知らんのか。冠水瓶だ。しっかりしろ」

しっかりしたいものである。

(2002.4.17)