夕空の法則

全蘭

金曜日の夕刊は「全米No.1」である。

これだけでは何のことか分からないだろう。映画だ。金曜日の夕刊には、週末に上映される新作映画の広告がでかでかと載る。その多くはハリウッド映画である。そしてそこには、「これでもか」と言わんばかりの迫力でこう書かれているのであった。

「全米No.1!」

どうやらナンバーワンらしい。観客動員数なのか、興行収入か、それともポップコーンの売上か、よくは知らないが、とにかくナンバーワンである。そして、この文字を見ると、人はなんだかむずむずすることになっているらしいのだ。「行かなくちゃな、ナンバーワンだもんな」。だが私が問題にしたいのは、何がナンバーワンなのかということではない。「全米」である。

「全米」と聞いて、「大量の米がある」と思う人はいない。この場合、「米」は「アメリカ」のことだと、誰もが知っている。それにしても「アメリカ」はなぜ「米」なのか。昔、アメリカが「亜米利加」と表記されていたことは有名である。これを省略したわけだが、なぜか「米」が選ばれた。なぜ「亜」じゃいけないのか。たとえばフランスだ。日本とフランスのサッカーチームが試合をする。

「日仏対決」

「仏」である。「仏蘭西」の最初の文字が選ばれた。ドイツは「日独」だ。オーストラリアは「日豪」である。韓国なら「日韓」だ。それぞれ、「独逸」「豪州」「韓国」の最初の文字だ。やはりここはいさぎよく最初の文字を選びたい。

「全亜No.1」

どうもまずい。何かがちがう。「アジア」ではないのか。これでは「アジア」だ。だが解決しなければいけないのは「アメリカ」である。

「全利No.1」

どこなんだ。「利」ってことはないよ。リビアか。利尻島なのか。ではこれはどうだろう。

「全加No.1」

いいんじゃないのか。これでよさそうだ。だが、それは違う、と手許の『大辞林』が指摘する。「加」は「カナダ」だというのだ。「加奈陀」である。初めて知ったよ。結局、消去法により「米」が選ばれたのだ。

近年はイランの映画が世界的に評価が高い。なかでもアッバス・キアロスタミ監督の作品は数々の映画祭で受賞している。イランでナンバーワンの映画を撮ったとしよう。イランは漢字で「伊蘭」と書く。金曜日の夕刊にこんな広告が載る。

「全伊No.1」

どうも腑に落ちない。これでいいのか。どう考えても「伊」は「イタリア」だろう。こうなると選択の余地はない。

「全蘭No.1」

私は困った。「蘭」という字を見てとっさに思い浮かべたのは「室蘭」だったのだ。だがまたしても『大辞林』は言う。「蘭」といえば「オランダ」なのだった。日本語とオランダ語の辞典は「和蘭辞典」という。

わたしたちは今大変な騒動に巻き込まれている。早く「イラン」を解決しないと何が起こるか分からない。私はキアロスタミに同情する。

(2001.10.6)