仕事がら本を大量に買う。出版社からは「出版ダイジェスト」という新刊書の案内が届き、図書流通センターという会社からは毎週新刊書のリストがメールで送られてくる。新聞を読むときも、ページの下の書籍の広告に目を通す。
本のタイトルについて悩むようになったのがいつ頃からか、思い出せない。とにかく、タイトルを見て「これはどうなっているのだ」と呟くようになった。
副題である。タイトルの後に副題がある。今朝の朝日新聞一面の広告にこんな本が紹介されている。
ブルース・ホフマン『テロリズム 正義という名の邪悪な殺戮』原書房
これを見て「あ、観葉植物の育て方の本だな」と思う人はいない。テロである。ではこれはどうか。
ブルース・ホフマン『テロリズム 観葉植物の育て方』原書房
分からない。観葉植物を育てるテロリストの本なのだろうか。あるいは、観葉植物を育てることはテロリズムにつながるということなのか。
賢明な読者は、副題の正しい書き方を知っている。言うまでもない、テレビの二時間ドラマのタイトルである。
「ひとり魔殺人事件・独身OLの危険な体験 仮面の男に襲われて」
独身のOLである。危険な目に遭う。仮面の男に襲われる。ここには誤解の余地はない。これぞ正しい副題である。
「ひとり魔殺人事件・使用上の注意を守りましょう」
これはだめだ。かなりだめだ。
「ひとり魔殺人事件・12年ぶり優勝」
そんな馬鹿な話があってたまるか。ふざけるなといいたい。だが優勝している。しかも12年ぶりだ。いや、まずい。大人はこんなタイトルに心乱されてはいけない。落ち着いて新聞の書籍広告のつづきを読もう。
プラティヒ『鼻のきく人舌のこえた人 味とにおいの謎を探る』学会出版センター
ほっとするではないか。タイトルと副題に違和感はない。だが油断は禁物である。「副題を書かない人」がいるのだ。副題があると人は安堵する。そこにつけこんで、あえて副題を書かない。卑怯である。たとえばこれだ。
小林秀光・廣瀬薫『末期ガンでもまだ日本冬虫夏草がある!』メタモル出版
あるのだろう。まだ日本冬虫夏草がある。それがどうだというのか。それを飲めば癌はたちどころに癒えると言いたいのかも知れないが、なにせ副題がない。どんなどんでん返しがあるか、知れたものではない。こんな本に手を出したらたまったものではない。
藤澤明生『C型肝炎に克つ 臨床医が証すBRMのすごい効果』ぶんぶん書房
すごい効果ときた。これなら安心だ。だが「ぶんぶん書房」ってことはないだろう。他に社名は思いつかなかったのだろうか。だが私は別の本に気をとられてしまった。
桐山靖雄『さあ、やるぞ かならず勝つ』平河出版社
勝ちたいのだな。勝ちたくてしかたがないのだ。それにしてもこの意気込みの物凄さはどうだ。いったい何をやるというのか。本のタイトルは深遠である。
(2001.10.3)