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あんた

歌謡曲というのはもはや死語なのかも知れないが、歌謡曲について考えたいのだからしかたがないじゃないか。

今はJ-POPが花盛りだ。歌謡曲などというと「古い」と言われそうだが、実際に虚心坦懐に耳を傾けてみると、意外に今でもかっこいい曲があるものだ。たとえば黛ジュンの「天使の誘惑」だ。いつ聴いてもかっこいい。黛ジュンのボーカルはもちろんのこと、バックミュージシャンの演奏が絶妙である。昭和四十年代の歌謡曲の演奏を務めていたスタジオ・ミュージシャンの質はとても高い。沢田研二にもしびれる。「時のすぎゆくままに」の甘く切ないメロディーと沢田の濡れたような声がぴったりである。

こんな話をすると、「懐古趣味」「保守主義者」と思われるかも知れないが、そうではない。片岡義男は『音楽を聴く』(東京書籍)でこう言っている。

「すでによく知っているもの、あるいは、どこにでも存在するがゆえに自分でも見つけることの可能なものだけしか相手にしたくないという態度は、フィクションに自己投影する精神活動を放棄したあとにこそ、残るものだからだ。現実をなぞることをとおして、安心したり納得したりするだけでことは足れりと大衆が態度をきめたとき、フィクションとしての歌謡曲の運命は、そこでいきなり終わったのだ」。

巷に溢れている現在の音楽だけを相手にすることは、フィクションをフィクションとして楽しむ精神的なゆとりがないことを意味する。歌謡曲を再発見することこそ、「現在」への批判になるのではないか。では誰の音楽を聴けばいいのだろう。

「美空ひばり」

歌謡曲の女王、不死鳥だ。だがわたしは美空ひばりはどうも苦手なのだった。美空ひばりは少女時代、笠置シヅ子の物真似をして天下に名を知らしめた。笠置シヅ子はプレスリーがデビューする前に腰を振って歌い踊った天才歌手である。物真似でデビューしておきながら、美空ひばりは、後年新人歌手が彼女の真似をしようとすると圧力をかけて許さなかった。「お嬢」と呼ばれたひばりのエゴである。わたしは断然笠置シヅ子派である。

「買い物ブギ」

こんな歌を歌えるのは笠置シヅ子しかいない。だって買い物ブギだよ。だがわたしがもっとも心を奪われているのは笠置シヅ子ではない。

「ちあきなおみ」

とりわけ「喝采」を聴くと必ず涙が出る。元YMOの高橋幸宏もいちばん好きな歌謡曲は「喝采」だと言っている。

ちあきなおみの六枚組CDボックスが発売されると聞いたのは去年だったかおととしだったか思い出せないが、新聞で広告を見たわたしはCDショップに走ったのだった。歌謡曲の棚を探すと、目当ての品物があった。

「ねぇあんた」

いきなり「あんた」呼ばわりされてしまった。さらに宣伝文句がある。

「世紀末・ちあきなおみの世界へ・・・おいでおいで」

おいでおいでである。おいでおいでされては、断るわけにはいかない。招かれるままにちきあなおみの世界に足を踏み入れると、そこには不思議な世界が待っている。

「逢いたかったぜ」

ちょっと怖い。

(2002.2.26)

夕空の法則