もうすぐ新年度である。年度が改まると、語学の勉強を始める人が多い。
「四月だな。今年こそマスターしなくちゃな」。
語学学校に通う人もいれば、入門書を買って独学で学ぶ人もいるし、通信教育を受ける人もいる。なかでももっとも手軽なのはNHKの語学講座だろう。
なにしろテキストが安い。ラジオなら毎日やっている。テレビでは、最近は若い人気女性タレントがアシスタント役を務めて視聴率アップを狙っている。それにしてもなぜ講師は男性でアシスタントは女性なのか。NHKに不文律でも存在するのだろうか。アシスタントをジャニーズのタレントにすればもっと視聴者は増えるのではないだろうか。えなりかずきなら「渡る世間は鬼ばかり」のファンの中年女性が飛びつくのではないか。
まあそんなことはどうでもいいのである。
四月になると書店にはさまざまな語学の入門書が並ぶ。それぞれ工夫が凝らされており、カセットテープやCDが付属しているものもある。その数は厖大である。いったいどれを選べばいいのか迷う。だが、どれでもいいから手にとってみると、意外と中身は大同小異であることがわかる。というのも、語学の入門書はたいてい複数の男女の主人公の日常会話の紹介とその文法の説明で構成されているからである。そして、彼らの会話はどれもじつによく似ている。まるで法律で決まっているかのように、彼らには共通の特徴があるのだ。
「善人ばかり」
語学の入門書の登場人物たちは、どいつもこいつも善人ばかりなのである。ためしに手許のテキストを紐解いてほしい。最初はたいていこんな会話で始まる。
「やあ!おはよう」
「おはよう。元気?」
「元気だよ。君は?」
「元気よ」
善人である。悪意のかけらもない。それにしても、こんな会話をする人間がいるものだろうか。自分の半生を振り返るに、日本でこんな会話をしている人にお目にかかったことがない。世の中は善人ばかりではないだろう。新聞の社会面を見るまでもなく、世界は悪意に満ち溢れている。
「やあ!おはよう」
「借金、返せよ」
「え?あ、あれね。もうちょっと待って」
「待てんちゅうねん。今すぐ返せ」
「だからちょっだけ待ってくれよ」
「耳から手ェ突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろか」
だが世の中にいるのは悪意の人だけではない。
「なにを考えているのか分からない人」
こういう人も会話はする。
「ぼくはカボチャのポタージュとステーキ。君は?」
「妖精っているのかしら」
「え?」
「妖精よ。森の妖精」
「なんだよ出し抜けに」
「あーあ、誰かを殴りたい」
「いったいどうしたんだよ」
「髪、切ろうかな」
「いいから早く注文しよう」
「人間には二種類いるんだって。立ってて邪魔になる人と邪魔にならない人」
今年のわたしの目標は、「悪意に満ちたドイツ語」をマスターすることである。
(2002.3.30)