夕空の法則

ついでに

近所の大型スーパーに行った。

駐車場は二千台以上収容可能な大型スーパーである。衣料品店から雑貨店、食料品店、本屋、CD・DVDショップ、和洋中さまざまなレストラン、さらにスターバックスまで出店している。

月刊雑誌を探していた。本屋に行くと幸い在庫があり、買った。ついでにDVDショップで映画のDVDを一枚買った。二割引だった。ついでに食料品売り場で漬物にする野菜と牛乳を買った。ついでにスターバックスに立ち寄り、ヘーゼルナッツ・ラテを注文し、外のテラスで煙草をくゆらせながら飲んだ。

スーパーの隣にはケーキ屋がある。神戸の有名な「アンテノール」だ。わたしは「アンテノール」のブランマンジェに目がない。アーモンドと砂糖、牛乳、ゼラチン、生クリームで作った、白くてふんわりしている冷菓子だ。

ついでに立ち寄って買った。一個280円だった。安い。

それにしても便利だ。

「いいところに住んでますね。どこですか」

教えてやるものか。プライバシーの侵害である。それに、わたしが便利だと思ったのは、スーパーのことではないのだ。

「ついでに」

これほど便利な言葉があるだろうか。考えてもみてほしい。

「ついでに大根を買う」

もしこの世に「ついで」という言葉がなかったらどうなるか。「ついで」とは、何かをするその機会を利用して、直接それに関係のないことを行う、という意味だ。

「ニンジンを買った機会を利用して直接それに関係のないクイックルワイパー買う」

長ったらしい。

「犬を散歩させた機会を利用して直接それに関係のない立小便をする」

長いうえに、汚い。立小便はいただけない。

何かをするその機会を利用して、直接それに関係のないことを行う。それをたった四文字で表せる。

「ついでに」

便利なものはすぐ世の中に広まる。多くの人が「ついでに」を使う。「ついでに大根を買う」。「ついでに立小便をする」。だが油断すると人は「ついでに」の使い方を誤るから気をつけたほうがいい。

「着替えたついでに裸になる」

これはどう考えてもおかしい。「何かをするその機会を利用して、直接それに関係のないことを行う」のが「ついでに」だ。「着替え」と「裸になる」は関連性がある。

「出かけたついでに帰宅する」

なにを言ってるんだ。出かけたら帰宅するに決まってるじゃないか。

「出かけたついでに円陣を組む」

わけがわからない。「出かけること」と「円陣を組むこと」はたしかに「直接関係のないこと」だ。でもどうして円陣なのだ。円陣はひとりでは組めない。ひとりで円陣を組む。どんな人だ。

「円陣を組んだついでに盆踊り」

とうとう踊りだした。なにをやってるんだ。こんな人に用はない。踊りたければ踊るがいい。

ところで、「ついでに」を用いた名文が存在することをご存知だろうか。

「ついでに生きている」

昭和の落語の大名人、古今亭志ん生の造語だ。落語のなかで、おかみさんが亭主を罵倒して言う。

「なに言ってんだい。おまえさんなんか、ついでに生きているだけじゃないか」

ついでに生きている男。ここには志ん生の人生哲学が凝縮されている。

(2002.2.9)