夕空の法則

逆立ちする

十五年前、スペインの大学に留学した。

マドリード大学の政治学部で国際関係論を勉強していた。住まいは自分で探し、手ごろな家賃のアパートを見つけた。スペインの学生たちは三人でアパートを借りて共同生活を送るのがならわしである。私はスペイン人の建築家と、専門学校で土木建築を学んでいるコロンビア人と一緒にアパートを借りた。

三人ともすぐ意気投合した。週末はよく一緒に遊んだ。そんな暮らしが半年ほど続いた頃、スペイン人がバルセロナに転勤した。コロンビア人と私は、お互いに専門学校や大学の掲示板に「ルームメイト募集」の求人広告を張った。それを見てモロッコ人がやって来て、新たな顔ぶれの共同生活がスタートした。

モロッコ人は大学の博士課程で歴史学を専攻していた。将来は外国のモロッコ大使館の職員になるという。インテリである。

ある日、モロッコ人がバスルームの洗濯機で洗濯をしていた。それをみて驚いた。洗濯機のなかで牛皮のジャケットがぐるぐる回っている。聞けば、部屋の箪笥で見つけたから洗って着るつもりだという。

洗濯された牛皮のジャケットはもちろん縮んだ。台無しである。

専門学校からコロンビア人が帰宅した。物干し竿のジャケットをみてコロンビア人が絶句した。

牛皮のジャケットはじつはコロンビア人のものだったのである。スペイン人の部屋の箪笥にしまっておいたのだ。スペイン人はそのまま転勤し、モロッコ人は、「いいものを見つけた」と喜んで洗濯したのだった。

コロンビア人とモロッコ人の喧嘩が始まった。呆れたコロンビア人は怒りがおさまらない。

「牛皮のジャケットを洗濯するなんて、おまえはバカか」

インテリのモロッコ人は済まなそうな顔をした。

「洗えば綺麗になると思った」

私は二人のあいだに立ち、双方を宥めた。その時の私の立場はこうだ。

「コロンビア人とモロッコ人の喧嘩をスペイン語でとめる日本人」

コロンビア人もモロッコ人もスペイン語を話す。もしこんな人がいたら喧嘩の火に油をそそぐことになるだろう。

「コロンビア人とモロッコ人の喧嘩を中国語でとめるフィンランド人」

話は変わるが、しょっちゅう地元の天然温泉に通っている。露天風呂がある。そこでいつも見かける人がいる。なぜか必ず素っ裸で逆立ちする。血行をよくするためなのか、いつも逆立ちだ。

「露天風呂で素っ裸で逆立ちする人」

露天風呂だから許される行為だ。

「駅のホームで素っ裸で逆立ちする人」

ただちに警察に連行されるだろう。

「茶道教室で素っ裸で逆立ちする人」

何が目的なのか、皆目見当がつかない。

昨日家の隣のスーパーに買物に行った。特売日で店はごった返している。レジは行列だ。行列は、大勢の人がいるからこそできる。

「ひとりで行列をつくる人」

この人はなんでもひとりでやる。

「ひとりで円陣を組む」

「ひとり上手な人」である。「ひとり上手な人」は器用だ。

「ひとりで合唱する」

私は、今頃あのモロッコ人が、どこかの大使館で素っ裸で逆立ちしていないかどうか気になってしかたがない。

(2001.11.1)