夕空の法則

ニョロニョロとのばす

秋である。

人には誰でも「もう秋だな、秋なんだな」と思うときがある。紅葉をみてそう思う人は多いだろう。残暑が過ぎ、風が涼しくなってきたときにしみじみと秋を実感する人もいよう。虫の音に秋の気配を感じるのも珍しくなく、人はついうっかり手紙に「そろそろ虫の音も聞こえる季節になりました」などと書いてしまう。あるいは暦をみて「もう秋分か」と、意味もなくため息混じりにぽつりと洩らす人もいるかもしれない。いずれにせよ、誰にでも「秋の兆候」というものが存在する。そして、私にとって「秋の兆候」とは、「ニョロニョロとのびる棒」である。

夏が過ぎた肌寒い日の夕暮れ。なにか温かい飲み物がほしい。が、あいにく外出中で、財布には小銭しかない。しかたなく、そこらへんにある自動販売機に向かう。ジュースやウーロン茶、コーラ、缶コーヒーなどが並んでいる。缶コーヒーの下には赤字に白抜きの文字がある。

「あったか~い」

ボタンを押す。ゴトンと音がして、熱い缶コーヒーが出る。コーヒーを飲みながら、その文字を読み返す。

「あったか~い」

「あったかい」でも「温かい」でもいけない。「あったか~い」。こうでなくてはだめだ。自動販売機に「あったか~い」が出現したときこそ、秋の到来である。厳密に言えば「~」だ。このニョロニョロとのびた棒こそ、秋である。「お前もまだまだだな」。いきなり友人が言う。聞けば、ニョロニョロは秋だけ出現するのではないという。言われてみればそんな気もする。あらためて自動販売機を見る。

「つめた~い」

まいった。まいりました。「~」は夏の到来をも高らかに宣言していたのだった。こうなると人は黙ってはいられまい。夏といえばチューブの季節である。いつか彼らは改名するだろう。

「チュ~ブ」

どうもこれはまずいんじゃないか。たしかにまずい。「ちがうよ、夏はサザンだよ」と言い張る人がいる。

「サザン・オ~ルスタ~ズ」

どうもしまりがない。間が抜けている。なぜかハワイアンを演奏しそうである。

ニョロニョロは常夏に似合う。熱さ、あるいは暑さをイメージさせる。ということは、「つめた~い」は暑い夏の到来を告げ、「あったか~い」は暖をとりたい人へのメッセージが込められているということだ。つまりどちらも意味は同じなのである。世の中には「暑苦しい人」が存在する。チャールズ・ブロンソン。名前を書いただけで男の汗の匂いがむんむんしてくる。いやだ。男の汗はごめんだ。最近の「暑苦しい人」といえばジョージ・クルーニーである。

「ジョ~ジ・クル~ニ~」

こんな男が出る映画など真っ平ご免である。

(2001.9.28)