夕空の法則

マスコット

四年前に名古屋に居を移す前から、野球は中日ドラゴンズのファンだったのだが、名古屋に来て初めて、ドラゴンズのマスコットの名前を知った。

「ドアラ」

東山動物園にコアラがやってきたのを記念してデザインされたという。たしかにコアラっぽいデザインである。それにしても「ドアラ」でいいのか。ドラゴンズとコアラで、ドアラ。マスコットを決めるために、球団関係者はおそらくデザイナーを厳選し、会議を開いて議論に議論を重ねてようやく「ドアラ」に落ち着いたのだろう。その過程を想像するのは楽しいが、そんなことより不思議なのは、マスコットの存在理由である。

「なぜマスコットなのか」

ヨーロッパを旅していた頃、いくつかの銀行に行ったが、マスコットは見かけなかった。だが日本で銀行に行くと、ポスターや通帳の表紙にマスコットが印刷されている。それはスヌーピーだったり、猫のフェリックスだったりするのだが、なかにはオリジナルのものがあり、それらの愛称にはなぜか「君」と「ちゃん」がついている。たとえば石川銀行だ。

「ガンバル君」

デザイナーは漫画家の吉田戦車だ。いったい何を頑張るのか。「頑張る」のは誰なのか。銀行か。銀行は企業だから企業努力をするのは当たり前の話である。それをわざわざ「頑張る」と宣言するのはおかしい。となると、残るは顧客である。石川銀行では客が頑張らねばならないらしい。どうすれば「銀行の客として頑張る」ことになるのだろう。

「ATMのボタンを押すときは気合を入れて」

気合を入れれば一万円引き出すところ三万円出てくるというなら話は別だが、そんなはずはあるまい。

「のほほんと整理券をとる」

頑張っていない。この人は頑張っていない。

「ガンバル君」はまだなにがしかの意味があるからいい。紀陽銀行の「キヨー君」を前にして、人はどう振舞えばいいというのか。あるいは中央三井信託銀行の「たっくん」だ。そして七十七銀行の「ナナちゃん」である。

銀行はサービス業だから、マスコットは顧客との距離を縮めるための手段のひとつとみなされているのだろう。「わたしたちはお堅いイメージがありますが、じつはこんなにお茶目なんです」と言いたげである。それはそれでいいのかも知れない。問題はサービス業以外のマスコットである。

「ピーポくん」

警察のマスコットだ。なぜ警察にマスコットが必要なのか。市民の安全を守るのに欠かせないというのか。「ピーポくんのおかげで犯罪がこんなに減りました」という話は聞いたことがない。だがもっとも不可解なのは自衛隊のマスコットである。若い男女のイラストで、なぜか二頭身である。二頭身だから、男は顔が戦車や戦闘機からはみ出ている。女の頭はジープと同じくらい巨大だ。そしてふたりの名前がどうにもよくわからない。

「ピクルス王子とパセリちゃん」

なぜ男は王子なのか。百歩譲って王子を認めるとして、ではなぜ女は王女ではないのか。そして、なにより奇妙なのは、ふたりがいつも「きょとんとした表情」をしていることである。

きょとんとしたいのは、こっちの方だ。

(2002.4.4)