夕空の法則

馬鹿に大きな卓

本棚を整理していたら、親に譲ってもらった昔の辞書が出てきた。富山房『雙解英和辭典』、昭和26年出版である。

なんとなくめくっていたら、great の項目が目にとまった。「驚愕・憤怒・侮蔑」の意味で用いられると説明があり、例文がある。

「部屋の中の馬鹿に大きな卓」

よほど大きなテーブルなのだろう。なにしろ「馬鹿に大きな」だ。テーブルのせいでドアが開かない。いったいどうやって部屋に入れたのか。まったく「馬鹿」としか言いようがない大きさだ。

great には「充分満足して居る」という意味もあるらしく、こんな例文がある。

「もし…だったら結構至極ぢゃないか」

「…」には好きな言葉を入れればいいのだが、「ぢゃないか」が泣かせる。

この二つの例文を読んだだけで、気がついたことがある。

「辞書には人が住んでいる」

馬鹿に大きなテーブルに驚愕して憤怒する人だ。こんなテーブルを部屋に入れたのはどこのどいつだ。やり場のない怒りを胸に秘めて、彼は言うだろう。

「もし馬鹿に小さな卓なら結構至極ぢゃないか」

そりゃたしかに結構至極かもしれないが、「馬鹿に小さい卓」は、それはそれで不便ではないのか。great の反対は little だ。調べてみると、そこにも人が住んでいる。

「暫く待て」

このきっぱりとした感じはどうだ。思わず「わかりました」と答えずにはいられない。辞書の人はさらに言う。

「バタを少し呉れ」

バターではなく、バタである。「待て」といい「呉れ」といい、辞書の人は命令が好きだ。しかも、どこか高圧的である。一家の主という雰囲気だ。洋服ではない。和服にちがいない。腕組みをしているだろう。口ひげをたくわえている感じがする。そして辞書の人は口ひげを撫でながらさらに言うのだ。

「先づ望みはない」

おそろしい。夢も希望も打ち砕かれる。

ひょっとして、選んだ単語がまずかったのではないかと思い、甘美な響きがする sweet を調べてみた。「新鮮で腐って居らぬ」という意味の説明がある。おそるおそる例文を読む。

「肉は未だ腐ってないか」

質問の真意がよくわからないが、どうやらこの家では肉はたいてい腐っているらしい。次の例文がそのことを証明している。

「室内を清潔にして置け」

またしても命令だ。命令しないと、腐った魚や肉の異臭が家中に満ち溢れる。さっさと掃除したらどうだと言いたいが、土台無理な相談である。「馬鹿に大きな卓」が邪魔だからである。

(2002.6.30)