職場に新しい同僚がやってきたので、中華料理屋で歓迎会を催した。わたしの隣には二年前から勤めている若いスペイン人の女性客員教授が座った。中華料理屋といえば回転テーブルだ。その店にも回転テーブルがあり、次々と運び込まれる料理を回して舌鼓を打ち、座は大いに盛り上がった。
客員教授に、この回転テーブルを発明したのが日本人だということを知っているかどうか訊ねてみたところ、「知らなかったわ」という返事だった。そして、こういう発明はじつに日本的だと言った。皿を人に渡すのにわざわざ立ち上がらなくて済むようにする配慮が彼女にはいかにも日本人的な発想に思えるという。たしかにそうかも知れない。だがわたしは別の理由を述べた。
「日本人はつい回転させる」
客員教授はすかさず反応した。
「カイテンズシ!」
最近の子供たちは「たまには『回転しない寿司』が食べたい」と言うらしいことを耳にしたことがあるが、今や寿司と言えば回転寿司と言っても過言ではあるまい。ロンドンにもあると言うし、去年の三月にマドリードに言ったらやはり回転寿司があり、食べてみたら思いのほかおいしくて驚いたものだ。
子供のころ、児童向けの公園で、くるくる回るジャングルジムのような遊具でよく遊んだものだ。「回転球」と呼ばれているらしいことをつい先日知ったのだが、なぜかこれを外国で見たことがない。わたしが知っている外国の数はたかが知れており、カナダ、アメリカ、スペイン、フランス、モロッコくらいのものなのだが、少なくともこれらの国で「回転球」にお目にかかったことがないのである。「回転球」のほかに「回転ジャングルジム」というのもあるらしい。
巨大な球を回し、ジャングルジムを回し、寿司を回す。ここには「回転への情熱」がありはしないか。
「回さずにはいられない」
日本人は、どうしても回転させずにはいられないのだろう。その証拠に、ボールペンや鉛筆を親指と人差し指の上でくるくると回す癖がある人が結構いる。通称「ペン回し」というらしい。学校の試験で問題に悪戦苦闘し、沈思黙考しているあいだ、気がつくと、なぜか指の上でペンを回している。外国の学生はどうなのか。スペインの大学生でペンを回している人に出会ったことはない。さまざまな国の映画を観ても、授業中に生徒がペン回しをやっている場面にはついぞお目にかかったことがない。
ペン回しをする人の内面がどうなっているかといえば、おそらく「回転させている」という意識などなく、心はからっぽであるはずだ。無意識の力はおそろしい。なにをしでかすかわからないからだ。そして、個人の無意識が集団的無意識となったとき、「回転への情熱」はいったい何を回すだろう。
「大仏」
回転する大仏に意味を求めてもしかたがない。それは、つい回してしまっただけのことだからである。
(2002.4.12)